エラストフェルの戦い
エラストフェルの戦い(エラストフェルのたたかい、英語: Battle of Erastfer)は、大北方戦争中の1702年1月9日(グレゴリオ暦)にスウェーデン領リヴォニア東部のエラストフェル近くでおきた、ボリス・シェレメーテフ率いるロシア軍の正規軍1万3千と非正規軍6千[3]とウォルマール・アントン・フォン・シュリッペンバッハ率いるスウェーデン軍約3,470人(うち約1,000人が参戦しなかったため実際には2,200-2,470人)の間の戦闘[1]。スウェーデン軍が戦死1千を出して敗北、残りの兵士が捕虜になり、大砲も鹵獲された[4]。ロシア軍の損害は戦死1千[3]と負傷約2千(スウェーデン軍の捕虜になったロシア兵士によると、損害が合計3千だったため)[4]。大北方戦争におけるロシア軍の初勝利となった[4]。 ツァーリのピョートル1世はイングリアに侵攻する前、ポーランド王アウグスト2世にロシア軍2万、火薬10万ポンド、および3年間にわたって年金10万ルーブルを支払うことを約束、ポーランドが戦争から脱落することを防いだ[5]:688。 脚注
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