エモーション (バンド)
エモーション(Emotion)は、かつて存在した日本のロックバンドである。、1969年に結成し、1971年に解散した。 略歴・概要1969年(昭和44年)4月1日、グループ・サウンズの人気バンドザ・ビーバーズ(1967年 - 1969年)が解散、ヴォーカルの成田賢、ギターの平井正之が結成したバンドが、エモーションである[1]。初期は、東京・永田町のレストラン「パシャクラブ」等で演奏していた[1]。 1970年(昭和45年)4月ごろまでには、エムのギタリスト浅野孝已(のちゴダイゴ)が加入しており、東京・新宿のディスコ「サンダーバード」等で演奏していた[2]。同年5月9日 - 10日に、東京・日比谷の日比谷野外音楽堂で行なわれた「第3回日本ロック・フェスティバル」に、浅野のエム、ゴールデン・カップスとともに出場している[2]。このときのメンバーは、平井と成田のほかは、ベースに井筒信雄、ドラムスに元グレープジュースの金沢純(金沢ジュン)であった。同年同月29日には、前述の「サンダーバード」での「サンダーバード・ロック・フェスティバル」に、浅野のエムとともに参加している[2]。このときのメンバーは不明。ほかにも、横浜・元町のミュージックレストラン「アストロ」[2]でも、専属バンド的に演奏しており、アメリカンスクールの学生やアメリカ兵に人気で、アメリカスクールの学園祭でも演奏した[1]。 当時のナンバーはカヴァーで、クリームの『I'm So Glad』(アルバム『Goodbye』所収、1969年)や、ドノヴァンの『Laleña』(シングル、1968年)、スキータ・デイヴィスの『この世の果てまで』(End of the World、1962年)であった[1]。ヴォーカルの成田の人気はすさまじく、「アストロ」のホールの写真パネルや、店頭のブロマイドが何度も盗難に遭ったという[1]。「アストロ」での待遇はよく、東京からグリーン車で迎えられ、帰りは東京までタクシーで送られたという[1]。 やがて同年中には、レコーディングの話も決まりかけていたが、成田が病気療養(肺結核[2])で1年間の休業に入った[1]。その前後に、近田春夫が新たにキーボード奏者として加入、メンバーは、平井、ベースに元ブラインドバードの大島勝、ドラムスに金沢、そして近田となった。1971年(昭和46年)には成田が療養から復帰、ソロシンガーになっていくが、当時「ソロシンガーの成田がヴォーカルで参加することもある」という旨の雑誌記事が書かれた[3]。まもなく解散。テレビ出演もなく、音源も残っていない[1]。 関連項目註外部リンク
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