エドウィン・コリンズ
エドウィン・コリンズ(Edwyn Collins, 1959年8月23日 - )は、スコットランド出身[1]のミュージシャン。1980年代に活動したポスト・パンク/ニューウェイブバンド、オレンジ・ジュースのボーカリストとして知られる。 来歴エディンバラ生まれ。1976年にグラスゴー郊外の仲間と共にNu-Sonicsを結成。1979年にオレンジ・ジュースと名前を変える。バンドの初公演は1979年4月20日グラスゴー・アートスクール内のヴィクトリア・カフェで行われた。オレンジ・ジュースはインディレーベルのポストカードからいくつかのシングルをリリースした後、ポリドールと契約を結ぶ。2枚目のアルバムからシングルカットされた『リップ・イット・アップ』は全英8位[2]のヒットシングルとなり大きな成功を収める。1985年、オレンジ・ジュースは解散。コリンズはソロ活動を始める。 1987年、クリエイション・レコーズのアラン・マッギーがワーナー・エレクトラ・アトランティック(WEA、現ワーナー・ミュージック・グループ)と共同出資し設立したエレヴェイション・レコーズから2枚のシングルをリリースしソロ・デビューを飾る。しかしレーベルは短命に終わり、自主レーベルでの活動を始める。 1994年のシングル「ガールズ・ライク・ユー」はコリンズのソロ活動の中でも最もよく知られている。このシングルは全英4位[3]、ビルボードでも32位[4]のヒットとなる。この曲は映画『エンパイア レコード』、『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』のサウンドトラックにも収録されている。1997年にリリースされたシングル「ザ・マジック・パイパー(オブ・ラヴ)」は『オースティン・パワーズ』のサウンドトラックに収録されている。 1994年、コリンズはレコーディングスタジオを建てる。そこで自身のアルバム『ゴージャス・ジョージ』を製作したほか、プロデューサーとしてザ・クリブスやリトル・バーリーなどのプロデュースを手掛けている。 2005年2月、病に倒れる(後述)が、2007年にアルバム『ホーム・アゲイン』をリリースし復帰。シングルカットされた同名曲のアートワークはリハビリ中に書き始めた鳥のスケッチを元にバーナード・バトラーやグレアム・コクソン、ジャービス・コッカー、アーヴィン・ウェルシュなど26名もの著名人がデザインを手掛け、1500枚限定でリリースされた[5]。その他リハビリ中に書かれた鳥のスケッチは2008年10月、ロンドンにて"British Birdlife"と名付けられた展覧会で展示され、後に"Some British Birds"という本にまとめられ出版された[6]。 2009年、Ivor Novello Awardsにて表舞台に復帰、特別賞(The Ivor Inspiration Award)を受賞した[7]。 私生活コリンズの妻はグレイス・マクスウェル。彼女はコリンズのマネージャーでもある。彼らはロンドンで一人息子のウィリアムと暮らしている。彼は父親のマイスペースを管理している[8]。 2005年2月18日、BBCラジオのインタビューを受けた際にコリンズは気分が優れないこと、吐き気や目まいなどの症状を訴えていた。症状は深刻で2日後にはロンドンの病院へ入院した。脳溢血と診断され、2月25日に手術を受けた。手術は成功し、コリンズは長いリハビリプログラムに取り組むことになった[9]。 長いリハビリ生活の後、2007年9月にコリンズは6枚目のソロアルバム『ホーム・アゲイン』をリリースした。このアルバムの制作はコリンズが病に倒れる前に始まっていたが、退院後にミックスを行い完成させた。徐々にではあるがライブ活動も再開させ、キャンディ・ツインズは彼の復帰を祝うトリビュートソングを披露した[10]。 2008年5月18日、BBCスコットランド製作のドキュメンタリー"Edwyn Collins:Home Again"が放送された。ナレーターは同郷のフランツ・フェルディナンドのアレックス・カプラノスが務めた。映像は2007年の退院から復帰後初のパフォーマンスとなるBBCエレクトリック・プロムスまでを追っている。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
編集盤
オレンジ・ジュース
出典・脚注
外部リンク |