第2代エクセター伯爵 ウィリアム・セシル (William Cecil, 2nd Earl of Exeter KG PC 、1566年 1月 – 1640年 7月6日 )は、イングランド王国 の貴族 、政治家。書類上ケンブリッジ大学 とグレイ法曹院 への入学記録があったが[ 1] 、前者の記録では12歳で入学しており、後者に至っては通ったかどうかすら疑わしいとされる[ 2] 。青年期に大陸ヨーロッパ を2年ほど旅したが、実態では毎日だらだらしつつ、帰国の圧力に抵抗した[ 2] 。国政では要職に就くことがなく、3度庶民院 議員に選出されたが、1度目と2度目の議員期は活動の記録がまったくなかった[ 2] 。地方政治ではノッティンガムシャー首席治安判事 (英語版 ) 、リンカンシャー首席治安判事 (英語版 ) 、ノーサンプトンシャー統監 (英語版 ) を務めた[ 3] [ 4] 。1605年から1623年までバーリー卿 の儀礼称号 を使用した[ 3] 。
生涯
初代エクセター伯爵トマス・セシル と1人目の妻ドロシー(1548年ごろ – 1609年3月23日、第4代ラティマー男爵ジョン・ネヴィル (英語版 ) の娘)の長男として、1566年1月にバーリー (英語版 ) で生まれた[ 3] 。1578年の秋学期に12歳ながら書類上ケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ に入学した[ 1] 。
大学を出た後、1585年より大陸ヨーロッパ を旅したが、パリ で勉学に勤しむことを期待されたところをイタリア、しかもカトリック の地であるローマ を訪れたため、父と祖父の逆鱗に触れた[ 2] 。1587年夏に帰国することが想定されたが、知人から本国にいる祖父への手紙によればセシルは「毎日だらだらして、帰国に強く反対している」という[ 2] 。またこの時期にカトリック に改宗したとされる[ 2] (『完全貴族要覧 』第2版では「1586年以前」とされる[ 3] )。いずれにせよ、セシル家が強い影響力を有するスタンフォード選挙区 (英語版 ) にて1586年から1587年にかけて招集された議会、1589年に招集された議会の二度にわたって議員に選出されており、このことから帰国したとされる[ 2] 。もっとも、この2つの会期においては議会で活動した記録がなかった[ 2] 。2度目の議員在任中、1589年2月26日に書類上グレイ法曹院 に入学したが[ 1] 、実際に法曹院に通ったかは疑わしいとされる[ 2] 。
1589年の結婚により出費が重ね、1593年4月までに債務者監獄 であるフリート監獄 (英語版 ) に投獄された[ 2] 。セシルは叔父ロバート に助けを求め、5月には釈放された[ 2] 。1597年の議会ではおそらくサー・アンドルー・ノエル (英語版 ) の支持を受け、ラトランド選挙区 (英語版 ) から選出されて議員を務めた[ 5] 。3度目の議員期でも演説の記録はなかったが、委員会への任命記録が残っている[ 2] 。1600年に再度イタリアに1年間滞在した[ 2] 。1603年4月17日に国王ジェームズ1世 により騎士爵 に叙された[ 3] 。
地方政治では1594年までにノッティンガムシャー の治安判事 に任命され[ 2] 、1600年6月20日にノッティンガムシャー首席治安判事 (英語版 ) に昇進した[ 4] 。1619年までにリンカンシャー の治安判事に任命され、同年にリンカンシャー首席治安判事 (英語版 ) に昇進した[ 2] 。1601年にノーサンプトンシャー の治安判事に任命され[ 2] 、1623年2月27日にノーサンプトンシャー統監 (英語版 ) に任命された[ 6] 。いずれも1640年に死去するまで務めた[ 2] 。
1623年2月7日に父が死去すると、エクセター伯爵 位を継承した[ 3] 。1626年12月14日に枢密顧問官 に任命され、1630年4月18日にガーター勲章 を授与されたが[ 3] 、爵位継承以降に重要な官職に就任することはなかった[ 2] 。
1640年7月6日にクラーケンウェル (英語版 ) のエクセター・ハウス (英語版 ) で死去、9日にウェストミンスター寺院 に埋葬された[ 3] 。息子ウィリアム に先立たれたため、弟リチャード (英語版 ) の息子デイヴィッド が爵位を継承した[ 3] 。
家族
1589年1月、第15代ルース女男爵エリザベス・マナーズ (英語版 ) (1576年1月ごろ – 1591年5月1日、第3代ラトランド伯爵エドワード・マナーズ (英語版 ) の娘)と結婚して[ 3] 、1男をもうけた[ 2] 。ルース女男爵は裕福な相続人だったが、この結婚には結婚許可証 (英語版 ) がなく、セシルは600ポンド の罰金を科されたうえ、長期間にわたる裁判に巻き込まれることとなった[ 2] 。
ウィリアム (1590年5月 – 1618年6月27日) - 第16代ルース男爵[ 3]
1614年12月22日以降[ 7] 、エリザベス・ドルーリー(Elizabeth Drury 、1579年1月4日 – 1654年2月26日、サー・ウィリアム・ドルーリー (英語版 ) と妻エリザベス (英語版 ) の娘)と再婚[ 3] 、3女をもうけた[ 2] 。
出典
^ a b c "Cecyll, William. (CCL578W)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u J. C. H., P. W.; Hasler (1981). "CECIL, William (1566-1640), of London, Newark Castle, Notts.; later of Burghley House, Lincs." . In Hasler, P. W. (ed.). The House of Commons 1558-1603 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年9月14日閲覧 。
^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 218.
^ a b Sainty, John Christopher (February 2004). "Custodes Rotulorum 1544-1646" . Institute of Historical Research (英語). 2019年3月6日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年9月14日閲覧 。
^ Hasler, P. W. (1981). "Rutland" . In Hasler, P. W. (ed.). The House of Commons 1558-1603 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年9月14日閲覧 。
^ Sainty, John Christopher (1970). "Lieutenancies of Counties, 1585–1642". Bulletin of the Institute of Historical Research (Special Supplement No. 8): 28–29.
^ Cokayne, George Edward ; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 312. ISBN 978-0-7509-0154-3 。
^ Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 150.
^ Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas , eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 254–256.
^ Cokayne, George Edward ; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton) (英語). Vol. 12.1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 217–219.