スタンフォード伯爵 (スタンフォードはくしゃく、英 : Earl of Stamford ) は、かつて存在したイギリス の伯爵 位。イングランド貴族 爵位。
第2代グロビーのグレイ男爵ヘンリー・グレイ (英語版 ) が1628年に叙位されて興った家柄だったが、1976年に継承者が途絶えて廃絶した。
なお、伯爵家はグレイ一族の中でも、初代サフォーク公 ヘンリー・グレイ (ジェーン・グレイ の父)の弟ジョン・グレイ卿 (英語版 ) を祖とする家系である。
歴史
初代伯爵ヘンリー・グレイ
ジョン・グレイ (英語版 ) の息子ヘンリー (英語版 ) (1547 - 1614) は、1603年にイングランド貴族の「レスターシャー州 グロビーのグレイ男爵 (Baron Grey of Groby, in the County of Leicester) 」 に叙された[ 2] 。
その孫の2代男爵ヘンリー (英語版 ) (1599頃 - 1673) は、1628年に「スタンフォード伯爵 (Earl of Stamford) 」に進んだ。初代伯はイングランド内戦 では議会派 について戦った[ 3] 。なお、彼の息子トマス・グレイ (英語版 ) (1623頃 - 1657) は議会派の有力者となり、国王チャールズ1世 の裁判では判事のひとりを務め、国王の死刑執行令状への署名者 の一員にもなったが、1657年に父親に先立って死去した[ 4] 。そのため伯爵位は、トマスの同名の息子トマス (2代伯、1654 - 1720) が継承した。
2代伯はランカスター公領大臣 や商務庁長官 を歴任した[ 3] 。その後1720年に死去し、爵位は従兄弟(初代伯の三男ジョン・グレイ (英語版 ) の長男)のヘンリー (1685 - 1739) が継承した[ 5] 。以降、3代にわたり父から息子への継承が続く。
4代伯ハリー (1715 - 1768) は襲爵前はレスターシャー選出の庶民院議員 を務めた[ 6] 。メアリー・ブース(第2代ウォリントン伯爵ジョージ・ブース の娘)と結婚し、義父の死後はブース家が所有していた広大な領地と財産を相続した[ 5] 。
5代伯ジョージ (1737 - 1819) はスタッフォードシャー選出の庶民院議員やチェシャー 統監 を務めた[ 7] 。1796年に「ウォリントン伯爵 (Earl of Warrington) 」と「デラマー男爵 (Baron Delamer) 」に叙された[ 8] [ 5] 。侯爵授爵の打診もあったが、これを辞退し、母の実家に敬意を表してウォリントンおよびスタンフォード伯爵 を名乗り続けた。
6代伯ジョージ・ハリー (1765 - 1845) はオールドバラ (英語版 ) およびセント・ジャーマンズ (英語版 ) 選出の庶民院議員やチェシャー統監を務めた[ 9] 。息子のジョージ・グレイ (1802 - 1835) は1833年に繰上勅書 によってグレイ男爵を継承して貴族院 に議席を得たが[ 10] 、父親に先立って死去したため伯爵位は襲爵できなかった。6代伯の死後、爵位は孫のジョージ (1827 - 1883) が継承した[ 5] 。
7代伯は競馬 の偉大なパトロンとして知られた。1883年に彼が死去すると、ウォリントン伯爵位、デラマー男爵位は廃絶した[ 注釈 1] [ 11] 。残るスタンフォード伯爵位とグロビーのグレイ男爵位は、4代伯の曾孫にあたるハリー・グレイ (1812 - 1890) が相続した[ 11] 。
その8代伯は襲爵前の1854年にケープ植民地 に移住後は生涯帰国することはなかった[ 8] 。彼は自宅の家政婦をしていた現地人女性マーサ・ソロモンズ (英語版 ) と結婚し、2人の男子を儲けていた。この息子たちは両親の正式な結婚前に誕生していたことから非嫡出子扱いとされ爵位の継承権は与えられず、結婚後に生まれた第3子は嫡出ではあったものの女子であったため、やはり継承権は与えられたなかった[ 8] [ 12] 。
8代伯の死後は甥のウィリアム・グレイ (1850 - 1910) が爵位を継承した。しかし貴族院特権監督委員会 は、1892年に8代伯の子供たちに継承権が無いことが確認されるまでは9代伯の継承を承認しなかった[ 8] [ 13] 。その9代伯の死後、爵位は息子のロジャー (英語版 ) (10代伯)が継承した。
10代伯は1922年にインド大臣 ウィリアム・ピール の議会担当秘書官 (無給)を務めたほか、オルトリナム (英語版 ) 市長 (1937年-1938年)も務めた。1976年に子のないまま死去、爵位はすべて廃絶した。
邸宅
ダナム・マジー・ホール
伯爵家の本邸はチェシャー州オルトリナム近郊にあるダナム・マジー・ホール (英語版 ) であった。この邸宅は10代伯ロジャーによって死後、ナショナル・トラスト に寄贈された。
別邸としてスタッフォードシャー 州にエンヴィル・ホール (英語版 ) を所有していた。
1856年、7代伯ジョージはレスターシャー州グロビーにブラッドゲート・ハウス (英語版 ) と呼ばれる邸宅を建設した。この邸はジャコビアン様式 で建てられ、365の窓、52の部屋、12の煙突があったことから「カレンダー・ハウス」の異名がある。またスタンフォード伯爵家は1563年にレスターシャー州ブラッドゲートにも同名の邸宅 (英語版 ) を建設しており、その位置関係の近さから両者はしばしば混同される。
歴代当主
グロビーのグレイ男爵(1603年)
初代グロビーのグレイ男爵ヘンリー・グレイ (英語版 ) (1547 - 1614)
第2代グロビーのグレイ男爵ヘンリー・グレイ (1599頃 - 1673) 先代の孫
スタンフォード伯爵(1628年)
第6代・第7代伯爵の紋章。グレイ家とブース家の紋章を組み合わせたものになっている。
脚注
注釈
^ ただし妻のエリザベスは、1905年に死去するまで自身の権利 (英語版 ) として「ウォリントンおよびスタンフォード伯爵夫人」の称号を名乗ることができた。
出典
^ Burke, John (1833) (英語). A General and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage of the British Empire . H. Colburn and R. Bentley. pp. 473–476. https://books.google.com/books?id=yeo8AQAAIAAJ&pg=PA473 9 December 2016 閲覧。
^ Burke, John (1833) (英語). A General and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage of the British Empire . H. Colburn and R. Bentley. p. 475. https://books.google.com/books?id=yeo8AQAAIAAJ&pg=PA475 9 December 2016 閲覧。
^ a b この記述にはアメリカ合衆国 内で著作権が消滅した 次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh , ed. (1911). "Stamford, Henry Grey, 1st Earl of ". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 25 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 769.
^ E. T. Bradley revised by Sean Kelsey. "Grey, Thomas, Baron Grey of Groby". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/11563 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1892.
^ Cruickshanks, Eveline (1970). "GREY, Harry, Lord Grey (1715-68)" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月17日閲覧 。
^ Brooke, John (1964). "GREY, George Harry, Lord Grey (1737-1819)" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月18日閲覧 。
^ a b c d Cokayne, G. E., ed. (1896). Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 230-232.
^ Stokes, Winifred (1986). "GREY, George Harry, Lord Grey (1765-1845), of Enville Hall, Staffs" . In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月23日閲覧 。
^ "No. 19003" . The London Gazette (英語). 11 December 1832. p. 2709.
^ a b Cokayne, George Edward ; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton) (英語). Vol. 12.1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 226.
^ “THE STAMFORD PEERAGE. ”. paperspast.natlib.govt.nz . 2024年7月17日 閲覧。
^ The Times , Wednesday, 4 May 1892; pg.
外部リンク
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