ウィリアム・アイヴィ・ロング
ウィリアム・アイヴィ・ロング (William Ivey Long (1947年8月30日-) は、アメリカ合衆国の舞台や映画の衣裳デザイナー。ブロードウェイの『プロデューサーズ』、『ヘアスプレー』、『ナイン』、『クレイジー・フォー・ユー』、『グレイ・ガーデンズ』、『ヤング・フランケンシュタイン』、『シンデレラ』、『ブロードウェイと銃弾』、『On the Twentieth Century 』などで知られる。 経歴生い立ちおよび学歴1947年8月30日、ノースカロライナ州ローリーにてウィンスロプ大学教授で演出家である父ウィリアム・アイヴィ・ロング・シニアと高校演劇教師、女優、脚本家である母メアリーのもとに生まれた[1]。父親はウィンスロプ大学の演劇学科の創立者であった。その後ノースカロライナ州マンテオ、サウスカロライナ州ロックヒルに転居した。 高校卒業後、ウィリアム・アンド・メアリー大学に進学して歴史を学び、夏休み中は高校時代の友人たちと共に、両親らが働くポール・グリーンの屋外演劇『ロスト・コロニー』を上演するマンテオで過ごし、1969年に卒業した。その後歴史学博士号取得のためノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)に進学した。ここで客員教授ベティ・スミスと出会い、イェール大学でデザインを学ぶことを提案された。UNCを退学し、イェール大学演劇学校でデザインを学ぶことになった。ここでルームメイトのシガニー・ウィーバーの他、ウェンディ・ワッサースタイン、メリル・ストリープ、クリストファー・デュラング、ポール・ラドニックと出会った。イェール在学中、デザイナーのミン・チョー・リーのもとで学び、多大な影響を受けた。 経歴1975年、イェール卒業後ニューヨークに転居して、ファッション・デザイナーのチャールズ・ジェイムスのもとで1978年にジェイムスが亡くなるまで無報酬の見習いとして働いた。イェール時代からの友人のカレン・シュルツはニコライ・ゴーゴリの『検察官』のブロードウェイ再演の装置デザイナーであり、ロングにこの公演で衣装デザイナーをやってみないか提案した[2]。これがロングの初ブロードウェイ作品となり、以降60以上の公演でデザインをしている。 トニー賞において14回ノミネートされ、『ナイン』、『クレイジー・フォー・ユー』、『プロデューサーズ』、『ヘアスプレー』、『グレイ・ガーデンズ』、『シンデレラ』の計6回受賞した。ドラマ・デスク・アワードにて『ヘアスプレー』、『プロデューサーズ』、『ガイズ&ドールズ』、『Lend Me a Tenor 』、『ナイン』で衣裳デザイン賞を受賞した。他に『ヤング・フランケンシュタイン』、『The Ritz 』、『シカゴ』、『Curtains 』もノミネートされた。
ロングが幼い頃から家族と共に関わってきたノースカロライナ州マンテオで行われるポール・グリーンの屋外演劇『ロスト・コロニー』を含み、地元ノースカロライナ州で多く活動している。ノースカロライナ州ウィルミントンのキャメロン芸術博物館で『Between Taste and Travesty: Costume Designs by William Ivey Long 』として特集が組まれた。 『アンコール』誌の芸術コラムニストのローレン・ホッジスは「ロングの作品は着た人をセレブリティにさせる」「作品はとても活気があり、それ自体に個性があるように見える。衣裳の動きは素材から計算されている。舞台の登場人物に合わせて細かい部分までこだわり、衣裳自身が物語を語り、これぞブロードウェイという光景を観客に見せる」と記した。 ロングはラスベガスのミラージュで行われたジークフリード&ロイの公演、レナード・バーンスタインのオペラ『静かな場所』と『タヒチ島の騒動』、ニューヨーク・シティ・バレエ団のピーター・マーティンズ、ポール・テイラー、タイラ・タープの衣裳も手掛けた。 2012年6月、アメリカン・シアター・ウイングの会長に選ばれた[4][5]。現役で活動している者が選ばれたのはヘレン・ヘイズ以来のことである。 作品ブロードウェイオフ・ブロードウェイ
ツアー公演映画
テレビ
脚注
外部リンク
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