イーラーム州(イーラームしゅう、ペルシア語: استان ایلام, ラテン文字転写: Ostān-e Īlām)はイランの州(オスターン)。国土の南西部、イラクとの国境に位置する。州都はイーラーム。面積は19,086km²、管下にイーラーム、メフラーン、デフロラーン、ダッレ・シャフル、シールワーン・チャルダーヴォル、アイヴァーン、アーブダーナーンの各市(シャフル)がある。周囲は南でフーゼスターン州、東にロレスターン州、北にケルマーンシャー州があり、西では425kmにわたってイラクとの国境線を形成する。人口は580,158人(2016年国勢調査)[1]。
地理・気候
イーラーム州はイランでも温暖な地域にあたるが、北部、北東部の山岳地帯は比較的冷涼である。年間平均降水量は578mm。1996年の最高気温は8月中の38度、最低気温は2月に記録した0.4度である。冬の凍結が見られるのは27日間である。イーラーム州の最高点はザーグロス山脈のカビール山脈(英語版)(Kuh-e Warzarin山)2790m。
イランの他地域同様、住民はクルド、アラブ、ロルなどの複数民族からなり、アラブやロルはほとんどが南部に住む。
イーラーム (1967~2005)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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23.1 (73.6)
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21.0 (69.8)
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25.0 (77)
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30.2 (86.4)
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37.5 (99.5)
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40.0 (104)
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43.0 (109.4)
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47.0 (116.6)
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40.0 (104)
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35.2 (95.4)
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32.0 (89.6)
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27.5 (81.5)
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47.0 (116.6)
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平均最高気温 °C (°F)
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9.0 (48.2)
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10.2 (50.4)
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14.0 (57.2)
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19.8 (67.6)
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26.3 (79.3)
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32.4 (90.3)
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35.8 (96.4)
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35.3 (95.5)
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31.6 (88.9)
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24.9 (76.8)
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17.1 (62.8)
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11.7 (53.1)
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22.4 (72.3)
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平均最低気温 °C (°F)
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−0.3 (31.5)
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0.6 (33.1)
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3.7 (38.7)
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8.6 (47.5)
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13.8 (56.8)
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18.1 (64.6)
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21.2 (70.2)
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20.8 (69.4)
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17.3 (63.1)
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12.3 (54.1)
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6.3 (43.3)
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1.9 (35.4)
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10.4 (50.7)
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最低気温記録 °C (°F)
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−14 (7)
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−15 (5)
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−11 (12)
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−3 (27)
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3.0 (37.4)
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7.0 (44.6)
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8.0 (46.4)
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8.0 (46.4)
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7.5 (45.5)
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1.9 (35.4)
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−6.2 (20.8)
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−12 (10)
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−15 (5)
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降水量 mm (inch)
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117.5 (4.626)
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103.9 (4.091)
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123.1 (4.846)
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70.1 (2.76)
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26.1 (1.028)
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0.5 (0.02)
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0.6 (0.024)
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0.3 (0.012)
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1.1 (0.043)
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26.2 (1.031)
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80.3 (3.161)
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94.8 (3.732)
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644.5 (25.374)
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平均降水日数 (≥1.0 mm)
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9
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8
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10
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7
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4
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0
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0
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0
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0
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3
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6
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8
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55
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% 湿度
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66
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62
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57
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49
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38
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27
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25
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25
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26
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38
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51
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61
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44
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出典:Iranian Meteorological Organization[2]
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歴史
考古学的には約6000年前からイーラームには人が住んでいたと思われる。史料によるとイーラームはエラムの一地域であった。エラムおよびバビロニアの碑文銘などでは、イーラームは「アラムト」や「アラム」と呼ばれ、「山岳」あるいは「日出ずる国」の意である。その後はハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)に属した。州内およびロレスターン州で発掘されるサーサーン朝期の多数の遺跡の存在は、当時のこの地域の重要性を示している。
11世紀後半から13世紀にかけてはクルドによる支配を受けた。
1930年、国土の再区分によりケルマーンシャーの地域の一部となり、その後分州されてイーラーム州となった。イーラームにはさまざまな点で部族社会の名残があるが、1980年代以降、部族的あり方は大幅に変容している。
今日のイーラーム州
イラン・イラク戦争で大打撃を受け、イラク軍の激しい爆撃により経済的インフラストラクチャーのほとんどが破壊された。イーラームはこれによりイランでも発展の遅れた地域となっている。2003年現在、イーラーム州の失業率は19. 9%に達する。
1990年代後半以降、中央政府は産業発展を期してイーラームに投資をはじめ、日本の援助による石油産業関連施設も建設された。イラン文化遺産協会に174ヵ所が登録される観光セクターも期待されているが、まだ整備は整っていない状況にある。
高等教育機関
- イーラーム医科大学
- イーラーム大学
- イスラーム自由大学イーラーム
景勝・旧跡
- イマームザーデ:中世以来の廟が数多く点在する。イマームザーデ・アリー・サーレフ、イマームザーデ・セイイェド・アーベド、イマームザーデ・セイイェド・アクバル、イマームザーデ・セイイェド・ファフロッディーン、イマームザーデ・セイイェド・ナーセロッディーン、イマームザーデ・イブラーヒーム、イマームザーデ・アッバース、イマームザーデ・アブドッラー、イマームザーデ・ピール・モハンマド、イマームザーデ・バーバー・セイフォッディーン、イマームザーデ・メフディー・サーレフ、イマームザーデ・イブラーヒーム・ゲタール、イマームザーデ・セイイェド・ハサン、イマームザーデ・セイイェド・サラーヘッディーン・モハンマド、イマームザーデ・ハーッジ・バフティヤール、イマームザーデ・ハーッジ・ハーゼル、イマームザーデ・ジャビール
- ゾロアスター教神殿(総数10):サーサーン朝期からのもの。現在は廃墟。スィヤーフゴル・イーワーン、チャハール・タギー(在ダッレ・シャフル)
- 城塞(総数90):ガルエ・ワリー(ガージャール朝)、ポシュト・ガルエ・チョウル、ガルエ・パーゲラ・チェキャルブーリー・ガルエ・ファラーハーティー(ガージャール朝)、シヤーグ城塞(在デフロラーン、サーサーン朝)、イスマーイール・ハーン城塞、サーム城塞(アルサケス朝後期)、プール・アシュラーフ城塞、ミール・ゴラーム・ハーシェミー・ガルエ、ポシュト・ガルエ・アーバダーナーン(サーサーン朝)、コンジャーチャーム城塞、シーリーン・ファルハード・イーワーン(在メフラーン、アルサケス朝)、ヘザール・ダル城塞(サーサーン朝)、シェイフ・マーカーン城塞(サーサーン朝)、ゼイナル城塞
- サーサーン朝期の古橋(総数5)
- サーサーン朝期など古代からの遺跡(テッペなど。総数224)
- 古代のレリーフ(総数8)
- 古代集住地遺跡(総数22)
- 泉、洞窟、生態保護区(3)、州立公園など
脚注
外部リンク