イバ・マヨリ
イバ・マヨリ(Iva Majoli, 1977年8月12日 - )は、クロアチア・ザグレブ出身の女子プロテニス選手。1997年の全仏オープン女子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス24位。身長175cm、体重61kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス1勝を挙げた。 来歴1991年8月にプロ入り。1992年全米オープンで4大大会に初出場。1993年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのクロアチア代表選手となる。この年の全仏オープンから頭角を現したマヨリは、3回戦で第15シードのザビーネ・ハック(ドイツ)を破り、4回戦で第1シードのシュテフィ・グラフに挑戦した。この活躍を評価され、マヨリは1993年度のWTAアワード「最優秀新人賞」を受賞した。 1994年は女子ツアーで3度の準優勝があり、その中には2月13日に日本の大阪(厳密には兵庫県尼崎市)で行われたアジア女子オープンの決勝でマニュエラ・マレーバ・フラニエール(スイス)に敗れた試合も含まれていた(優勝したマレーバはこの試合を最後に世界ランキング9位で現役を引退した)。1994年から、マヨリは世界ランキング上位16名のみが参加できる女子ツアー年間最終戦「WTAツアー選手権」の出場資格を得た。1995年の全仏オープンで第12シードに選ばれたマヨリは、先の全豪オープン優勝で地元フランスの期待を集めていた第3シードのマリー・ピエルスを 6-2, 6-3 で破ったが、初めての準々決勝で日本の伊達公子に 5-7, 1-6 で敗れた。 1995年10月、マヨリはスイスの「チューリッヒ・オープン」とドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・テニス・グランプリ」で2週連続優勝を果たす。1996年には全豪オープンで初の8強入りを決めた後、日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で優勝し、アトランタ五輪でもリンゼイ・ダベンポートとの準々決勝まで勝ち進んだ。マヨリの選手経歴のハイライトは、1997年の全仏オープン優勝である。19歳になったマヨリは、決勝戦で当時16歳の最年少女王マルチナ・ヒンギスを 6-4, 6-2 のストレートで破り、クロアチアのテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。この年のヒンギスが全仏オープンを除く4大大会年間3冠を獲得したことから、マヨリは「1997年度の4大大会でヒンギスを破った唯一の選手」と称賛された。しかしその後は故障に悩み、4大大会の成績も降下していった。 全仏優勝の年から5年間、マヨリは女子ツアーでも優勝から遠ざかっていたが、2002年4月の「ファミリー・サークル・カップ」決勝でパティ・シュナイダー(スイス)を 7-6, 6-4 で破り、シングルス8勝目を挙げた。この優勝が最後の優勝になり、2004年のシーズンを最後に、マヨリは27歳で現役を引退した。 マヨリは2006年に結婚し、長女を出産している。結婚後はイバ・マヨリ・マリッチ(Iva Majoli Marić)と名乗っている。2012年からフェドカップのクロアチア代表監督を務めている。 WTAツアー決勝進出結果シングルス: 17回 (8勝9敗)
ダブルス: 5回 (1勝4敗)
4大大会優勝
4大大会シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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