イザベル・ド・ボーヴォー(フランス語:Isabelle de Beauvau)又はイザボー・ド・ボーヴォー(Isabeau de Beauvau, 1436年頃 - 1475年)は、ヴァロワ朝時代フランスの貴族女性。シャンピニー(英語版)及びラ・ロッシュ=シュル=ヨンの領主。王家の連枝の1人ヴァンドーム伯ジャン8世に嫁いだ。
生涯
ナポリ王ルネ・ダンジューの重臣ルイ・ド・ボーヴォー(英語版)とその最初の妻でロレーヌ公国貴族出身のマルグリット・ド・シャンブレーの間の娘。ルネ・ダンジューはロレーヌ公位継承問題で自身の立場を有利にするのに苦心しており、ロレーヌの貴族層との良好な関係を演出すべく、詩人アラン・シャルティエ(英語版)がオルレアン公爵夫人に献呈した詩集の詩の中に、自分の家族に加えてボーヴォーの妻と娘イザベルを登場させている。
1454年11月9日アンジェにて、ヴァンドーム伯ジャン8世と結婚。間に8子をもうけた。
- ジャンヌ(1460年 - 1487年) - 1477年シャルトル伯ルイ・ド・ジョワユーズと結婚
- カトリーヌ(1461年 - 1525年) - 1484年リムーザンのセネシャル、ジルベール・ド・シャバンヌと結婚
- ジャンヌ(1465年 - 1511年) - 1487年ブルボン公ジャン2世と結婚、1495年オーヴェルニュ伯ジャン3世と再婚
- ルネ(1468年 - 1534年) - フォントヴロー女子修道院長
- フランソワ(1470年 - 1495年) - ヴァンドーム伯
- ルイ(1473年 - 1520年) - ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公
- シャルロット(1474年 - 1520年) - 1489年ヌヴェール伯アンジルベール(英語版)と結婚
- イザベル(1475年 - 1532年) - カーンのダーム女子修道院長
末娘の出産に際して死去、遺骸はヴァンドーム伯爵家の墓廟であったヴァンドームのサン=ジョルジュ参事会教会(collégiate Saint-Georges de Vendôme)に葬られたが、この墓は現在は失われている。イザベルはカトリーヌ・ド・メディシスの曾祖母、ブルボン朝の開祖アンリ4世王の玄祖母に当たり、特に後者の事実を重んじたブルボン朝の王たちにより、ボーヴォー家(英語版)は「王のいとこ(cousin du Roi)」の称号を認められた[5][6]。
引用・脚注
- ^ Guy Antonetti, « Les princes étrangers », dans État et société en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. Mélanges offerts à Yves Durand, Paris, Presses de l'Université de Paris-Sorbonne, 2000, p. 57 Lire en ligne.
- ^ Bougler, « Les écussons angevins au musée de Versailles. Beauvau », dans Revue de l'Anjou, 1853, p. 45-64 Lire en ligne.
参考文献