アレッサンドロ・デッラ・トッレ・エ・タッソ
アレッサンドロ・デッラ・トッレ・イ・タッソ(Alessandro Principe della Torre e Tasso, Duca di Castel Duino, 1881年7月8日 - 1937年3月11日)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)領ボヘミアの貴族で、のちイタリアに帰化した。カステル・ドゥイーノ公爵。 経歴トゥルン・ウント・タクシス侯子アレクサンダー(1851年 - 1939年)とホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト侯女マリーの間の三男。正式な洗礼名はアレクサンダー・カール・エゴン・テオバルト・ラモラル・ヨハン・バプティスト・マリア(Alexander Karl Egon Theobald Lamoral Johann Baptist Maria)、通称はサーシャ(Sascha)。1906年1月27日パリにて、リーニュ公ルイの一人娘マリー(1885年 - 1971年)と結婚し、間に2男1女をもうけるが、1919年に離婚。 1923年母の所領ドゥイーノのあるイタリアに帰化、その際に同国のカステル・ドゥイーノ公爵位を授けられた。1932年ヴラーナで、米国の醸造業創業者ハイラム・ウォーカーの孫娘で2度の離婚歴のあるヘレーナ(エラ)・ホルブルック・ウォーカー(1875年 - 1959年)と再婚。死後、爵位と資産の多くは長男に引き継がれたが、ベッラージョのヴィラ・セルベローニ(Villa Serbelloni)など資産の一部は未亡人の管理を経てロックフェラー財団の手に渡っているものもある[1]。 子女最初の妻との間に2男1女。
引用・脚注
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