アルバレート (列車)アルバレート (Arbalète) は、フランスのパリとスイスのチューリッヒをミュールーズ、バーゼル経由で結んでいた国際列車である。1956年にパリ - ミュールーズ間の国内列車として運行を開始し、1957年から1979年までパリ - チューリッヒ間のTEEとして運行された。その後1980年からは国際インターシティ、1987年からはユーロシティとなり、1997年にTGVに置き換えられて廃止された。 列車名はフランス語で機械弓(クロスボウ)の意[1]。フランス語では定冠詞をつけてL'Arbalète(ラルバレート)とも表記される。 歴史アルバレートは1956年6月3日、フランス国鉄 (SNCF) によるパリ - ミュールーズ間の国内列車として運行を開始した[2]。 翌1957年6月2日のTEE発足とともに、アルバレートはTEEの一列車となり、パリ - チューリッヒ間に延長された。運行ダイヤは早朝チューリッヒを発車し昼過ぎにパリに到着、折り返し夕方にパリを出て深夜にチューリッヒに着くというものであった[3]。 この時期のアルバレートはパリ - ミュールーズ間でフランスの国内列車と併結されて運転されていた。これは当時のフランス国鉄の人件費抑制策によるものである。このためTEEとしては停車駅が多くなっていた。TEEも併結される国内列車も一等車のみの編成であったが、TEEの一等車は座席が横3列であったのに対し国内列車は横4列であるなど、設備は差がつけられており、運賃・料金も別であった[3]。 1960年から1962年の夏にはヴィッテルへの乗換駅であるキュルモン・シャランドレ駅にも停車した[3]。 1963年冬のダイヤ改正でアルバレートとパリ - ミュールーズ間の国内列車は分離された。アルバレートの停車駅は大きく削減され、所要時間はわずかであるが短縮された[3]。 1969年冬のダイヤ改正でアルバレートは機関車牽引の客車列車となった。1971年からは、パリ行のアルバレートはチューリッヒ - バーゼル間でドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)車両のハンブルク行のTEEヘルヴェティアと併結されるようになった。なお、パリ - ベルフォール間はパリ近郊の一部を除いて非電化区間であるため、パリ - バーゼル間はフランス国鉄のディーゼル機関車が牽引した。この路線はフランスの幹線の中でも近代化の遅れた路線であり、最高速度も120km/hで他の路線より低かった[4]。 TEE時代のアルバレートの利用者は、パリからベルフォールやミュールーズなどフランス国内が多く、国境を越える区間の乗車率は低迷していた。このため、1979年5月27日のダイヤ改正からアルバレートは二等車を含む特急列車 (train rapide) となり、TEEではなくなった[4]。 その後1980年夏からは国際インターシティの一列車となり、1987年夏にはユーロシティに種別を変更した[4]。 1997年9月28日、パリ - ベルン間をディジョン経由で結んでいたTGVのうち一往復がチューリッヒまで延長されたのと引き替えに、アルバレートは廃止された。TGV化されたとはいえ経路が遠回りになったため、所要時間はほとんど変わらず、チューリッヒ行では逆に長くなってしまった。さらに運賃・料金も通常期で約20%の値上げとなるなど、利用者には不評であった[2]。 2007年にはLGV東ヨーロッパ線が開業し、パリ - チューリッヒ間のTGVはストラスブール、ミュールーズ、バーゼル経由とされたが[5]、2011年12月11日にLGVライン-ローヌ線が開業したことでディジョン、ミュールーズ経由で運行されるようになった[6]。 年表
停車駅一覧TEE時代のアルバレートの停車駅は以下の通り[1]。
車両・編成気動車・客車TEE時代のアルバレートで使われた車両は以下の通り[1]
1964年の車両更新は、同年にパリ - ブリュッセル、アムステルダム間のTEEエトワール・デュ・ノールとオワゾ・ブルーが客車列車化されたため、余剰となった車両を用いたものである。この時期はアムステルダム - チューリッヒ間のTEEエーデルヴァイスと共通運用であった[1]。 1969年には、パリ - ニース間のル・ミストラルに新型客車(ミストラル69型)が投入されたため、余剰となった旧客車(ミストラル56型)を利用して客車列車化された[4]。この時期の編成は一等車5両、一等・バー合造車1両、食堂車1両、荷物車1両を基本としていた[1]。1972年以降"Grill Express"の愛称で知られる新型食堂車が使用されている[4]。 1976年にはパリ - リヨン間のTEEリヨネが二等車を含む特急列車に変更されたことにともない、余剰となったミストラル69型客車がアルバレートに充てられた。ただし、この客車のみではパリ - チューリッヒ間を2日で一往復する運用に充当するには不十分であり、全区間を走行するのは一等車3両のみとされ、一等車4両と食堂車1両はパリ - バーゼル間でのみ連結された。増結客車は同区間を一日一往復した[4]。 1979年に二等車を含む特急列車となってからは、フランス国鉄のコライユ客車が用いられた。ただし1995年から廃止までの2年間はスイス連邦鉄道(スイス国鉄)の客車となった[4]。 機関車1969年の客車列車化後は、パリ - バーゼル間はフランス国鉄のCC72000形ディーゼル機関車が[7]、バーゼルではスイス国鉄のRe4/4II形またはRe4/4III形電気機関車が牽引した[8]。ユーロシティ化後はパリ - バーゼル間でBB67400形ディーゼル機関車 (BB 67400) が重連で用いられることもあった[9]。 脚注出典
参考文献
関連項目 |