アメリカ合衆国憲法修正第20条
アメリカ合衆国憲法修正第20条(アメリカがっしゅうこくけんぽうしゅうせいだい20じょう、英:Twentieth Amendment to the United States Constitution、あるいはAmendment XX)は、選出された合衆国政府役職者任期の開始と終了について詳細な取り扱いを定めている。さらにこの修正条項は、次期大統領に選ばれてまだ就任していない者が単独で、あるいは同様に次期副大統領に選ばれてまだ就任していない者と共に、執務できないとき、あるいは存在しないときのシナリオを扱っている。 原文→「s:アメリカ合衆国憲法#aa20」を参照
背景修正の目的は、大統領と議会議員が選ばれてからその任期が始まるまでの期間を短くすることだった。当初採択された憲法では、大統領、副大統領および議会議員の任期は、選挙が行われた4ヶ月後の3月4日に始まった。この期間は、新しく選ばれた役職者達が私事を片付けて続いて故郷から国の首都まで骨の折れる旅をしてくるまでに数ヶ月を要していた18世紀には必要なことだったが、鉄道網や道路網が発達した20世紀には政府の機能を遅らせる効果しかなかった。この弊害は、1860年に大統領に選出されたエイブラハム・リンカーンが1861年3月4日に就任する前に、南部7州が合衆国から脱退し、2月4日にアメリカ連合国を結成した時に特に顕著に現れた。また1932年にフランクリン・ルーズベルトが選ばれていたにも拘らず、ハーバート・フーバーのレーム・ダック(死に体政権)が残っていたために世界恐慌が悪化したということもあった。 当初の憲法第1条第4節第2項では、議会は少なくとも年1回12月に招集されることになっていた。これは各選挙の後では義務的な「レイムダック」会期になった。 修正条項は1933年1月23日に批准されたが、第5節の規定ゆえに、1933年の第73会期あるいは大統領ルーズベルトおよび副大統領ジョン・N・ガーナーの就任には効力が無かった。 この修正条項が批准されてからわずか23日後の1933年2月15日、大統領当選者ルーズベルトはジュゼッペ・ザンガラの暗殺目標になり、未遂となった。もしこの暗殺が成功しておれば、第3節に従って、ガーナーが大統領就任宣誓の日(1933年3月4日)に大統領として宣誓するところだった。 第1節に従った最初の議会会期は1935年1月3日開始の第74会期だった。第1節に従った最初の大統領と副大統領の任期は1937年1月20日に始まった大統領ルーズベルトおよび副大統領ガーナーの任期だった。 提案と批准アメリカ合衆国議会は修正第20条を1932年3月2日に提案した[1]。続いて次の州が批准した。
批准は4分の3の州の批准により1933年1月23日に完了した。この修正条項は後に次の州によっても批准された。
脚注
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