アネット・オルゾン
アネット・オルゾン(Anette Olzon、結婚後 Anette Blyckert、1971年6月21日 - )は、スウェーデン出身の歌手。2007年から2012年10月までフィンランドのシンフォニック・メタル・バンド、ナイトウィッシュのリード・ボーカリストとして活動していた。それ以前はスウェーデンの AOR バンド、アリソン・アヴェニューなどで活動していた。 経歴生い立ちオルゾンは1971年6月21日にスウェーデンのカトリーネホルムに生まれる。幼少期はオーボエを吹き、母の所属するバンドと一緒にツアーしては時折ステージで歌っていた[1]。13歳の時に様々なタレント番組に出場するようになり、一方で音楽を学びつつデンマークのヘルシンゲアにある Music Conservatorie で歌った。 17歳の時に短期間ではあるが Take Cover というバンドに入る。その後21歳でロック・オペラ・グループ Gränsland でリード・シンガーを務める。マイケル・ボーマン(元ジェイデッド・ハート)のアルバム『Conspiracy』でデュエットもしている。 アリソン・アヴェニューオルゾンは1989年に AOR バンド、アリソン・アヴェニューに加入し、男性ボーカリストのあとを継いだ。バンドは1999年に頒布したデモで大きな反響を受け、すぐに複数のレーベルとコンタクトを開始した。主な作曲者でキーボーディストのニクラス・オルソンはバンドを集めて4曲のデモを録音、その結果 AOR Heaven と契約した。 デビュー・アルバム『Presence of Mind』は2000年11月にリリースされてレビューで絶賛された。続くアルバム『Omega』は2003年にリリース。バンドは2006年には活動を休止し、オルゾンは翌2007年にナイトウィッシュに加入することとなった。他のバンド・メンバーは新人の男性ボーカリストとともにサファイアというバンドを立ち上げている。 ナイトウィッシュオルゾンがターヤ・トゥルネンに代わる新しいリード・シンガーとしてナイトウィッシュに加わったのは2007年初頭で、2000人の応募者とその中の最終候補10人から選ばれている。彼女の正体が明らかになったのは2007年5月24日であった。その翌日、インターネット・シングル「Eva」がリリースされた。 ナイトウィッシュはオルゾンが在籍中、2007年に「ダーク・パッション・プレイ」、2011年に「イマジナリアム」の2枚のスタジオアルバムをリリースしている。 2012年10月1日、ナイトウィッシュ脱退が発表された[2]。脱退の理由は、音楽性の齟齬の拡大で、それが回復不可能であると判断されたため[2]。ナイトウィッシュとしての最後のパフォーマンスは9月29日、ソルトレークシティーのコンプレックス公演だった[3]。彼女は後のインタビューで、実際にはバンドから解雇されていたことを明らかにした。彼女が妊娠していることを明かした為であるという。ナイトウィッシュはオルゾンの解雇についてその後陳述したが、妊娠が理由であることを否定しており、メンバー全員が彼女を祝福したと語っている。「アネットと別れたのは、妊娠や病気のためではありません。私たちは彼女の性格がこの仕事のコミュニティに合っていない、むしろ悪影響だということを発見しました」[4]。 ソロ活動、その他のプロジェクトオルゾンはナイトウィッシュ脱退後、ソロ活動を始動させた。2013年にはデビューアルバム「Shine」をリリース。2016年にはEP「Vintersjäl / Cold Outside」をデジタルダウンロードのみでリリースした。2021年にはソロデビュー作『Shine』から約7年ぶりとなるアルバム『STRONG』をリリースした[5]。 一方で、ソナタ・アークティカに在籍していたフィンランド人ギタリスト、ヤニ・リーマタイネンの呼びかけに応じ、共にプロジェクト、ザ・ダーク・エレメントを結成した。ザ・ダーク・エレメントは2017年にセルフタイトルアルバムを発表。2018年には来日公演も行った。2019年には二作目となる「ソングス・ザ・ナイト・シングス」をリリース。 ザ・ダーク・エレメントとしての活動と並行して、2020年オルゾンはシンフォニーXのアメリカ人ボーカリスト、ラッセル・アレンとのプロジェクト、アレン・オルゾンを結成。全曲をマグナス・カールソンが書き下ろしたデビュー作「ワールズ・アパート」をリリースした。 ディスコグラフィソロ
アリソン・アヴェニュー
ナイトウィッシュ
ザ・ダーク・エレメント
アレン・オルゾン
客演
脚注
外部リンク
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