アダム・マティセク
アダム・マティセク(ポーランド語: Adam Matysek、ポーランド語発音: [ˈadam maˈtɨsɛk]、1968年7月19日 - )は、ポーランドの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ポーランド代表。選手時代のポジションはGK。 来歴クラブザグウェンビェ・ヴァウブジフの下部組織出身で1989年にシロンスク・ヴロツワフで選手となった。 1993年にSCフォルトゥナ・ケルンに移籍すると、FCギュータースローを経て、バイエル・レバークーゼンに加入した。レバークーゼンではフランク・ユーリッチとポジション争いを繰り広げた。 2001年にザグウェンビェ・ルビンに加入しポーランドに復帰。翌年にRKSラドムスコで選手を引退した。 代表ポーランド代表として34試合の出場歴がある[1]。代表初出場は1991年12月3日のエジプト代表戦であった。1994年から1997年にかけては招集外が続いたが、その後は再び招集され、2002年5月18日のエストニア代表戦が最後の出場となった。同年の2002 FIFAワールドカップにも参加したが、同大会で出場は無く引退した。 指導歴引退後はポーランドサッカー協会でU-21代表のゴールキーパーコーチを務めた他、1.FCニュルンベルクでもゴールキーパーコーチを務めた。 私生活同じくサッカー選手のドミニク・ズウィックは義理の息子にあたる[2]。 代表歴出場大会試合数
出典
外部リンク
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