アウグステ・フォン・バイエルン (1875-1964)
アウグステ・フォン・バイエルン(ドイツ語: Auguste von Bayern, 1875年4月28日 - 1964年6月25日)は、バイエルン王国の王族で、オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストの妃。 生涯バイエルン王子レオポルトとその妻のオーストリア大公女ギーゼラの間に次女として生まれた。名前は父方の祖母アウグステ・フェルディナンデにちなむ。アウグステは1893年11月15日、オーストリア皇族のヨーゼフ・アウグストと結婚した。 第一次世界大戦中、アウグステは負傷者たちの看病や生活支援に奔走した。アウグステは「鉄のために金を供出しました(Gold gab ich für Eisen)」運動の推進者となり、戦後は数多くの福祉慈善組織を創設した。 ヨーゼフ・アウグスト大公一家は1944年にそれまで住んでいたハンガリーを出国し、いったんアメリカ合衆国に渡ったものの、その後ヨーゼフ・アウグスト大公の姉のトゥルン・ウント・タクシス侯妃マルガレーテ・クレメンティーネを頼ってドイツに移った。アウグステは1964年にレーゲンスブルクにおいて89歳で亡くなった。 子女夫ヨーゼフ・アウグストとの間に6人の子供をもうけたが、うち2人は夭折した。
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