ひたちなか市立美乃浜学園
統合した学校との位置関係 (赤:美乃浜学園、緑:旧小学校、青:旧中学校) ひたちなか市立美乃浜学園(ひたちなかしりつ みのはまがくえん)は、茨城県ひたちなか市磯崎町にある公立義務教育学校[1][7]。文部科学省の学校コードはC208222100012[8]。 概要ひたちなか市東部に位置する。2021年(令和3年)に、ひたちなか市初の義務教育学校として、同市立平磯小学校[注 1]・磯崎小学校[注 2]・阿字ケ浦小学校[注 3]の3小学校と、同市立平磯中学校[注 4]・阿字ケ浦中学校[注 5]の2中学校を統合して設置された[2][9]。 美乃浜学園の開校に先立ち、2021年(令和3年)3月13日には、近隣を通過するひたちなか海浜鉄道湊線に美乃浜学園駅が設置されている[17]。 校名の由来「美乃浜」には「美しい海(浜)」という意味以外にも、平磯、磯崎、阿字ヶ浦の三地区を表す「三」と未来への大きな飛躍を表す「未」の意味も込められている。 また、令和時代に開校することから、令和の典拠である『万葉集』に収められた和歌のうち、磯崎について詠った
を引用している[18][19]。しかし、本来の意味の磯崎や「許奴美の浜」、磐城山(現在の薩埵峠)は静岡県であるとする説が有力である[20]。 沿革概歴平磯小学校(1873年 - 2021年)1873年(明治6年)8月11日に平磯村の琴平神社付近に創設され、同年11月1日に開校する[21][22]。翌年4月1日には磯崎分校を設置した[22]。1876年(明治9年)に平磯村の小学校を平磯小学校とした[9]。1886年(明治19年)12月1日には、小学校令により平磯尋常小学校に改称する[22]。その後、1941年(昭和16年)には国民学校令公布により平磯町国民学校に改称し[22][23]、さらに戦後の学校教育法施行にあたって、平磯町立平磯小学校に改称した[22][24]。以後の市町村合併によって、1954年(昭和29年)3月31日には那珂湊市立平磯小学校、1994年(平成6年)11月1日にはひたちなか市立平磯小学校に改称している[22]。2021年(令和3年)4月1日にひたちなか市立美乃浜学園が開校することに伴い[2]、その前日をもって閉校した[10]。 校地は琴平神社付近で創設後、仲町津神社付近、圷町新屋漁業裏、平磯町250番地の順に移転し、以降は閉校まで変化無し[9][22]。 2020年(令和2年)度の在籍児童数は191名で、2021年(令和3年)3月31日の閉校時点での卒業生総数は12,822名である[9]。 磯崎小学校(1890年 - 2021年)1890年(明治23年)に設置された磯崎分教場が源流となっている[9][25]。1903年(明治3年)9月8日に独立し、磯崎尋常小学校として開校した[9][25]。その後、1941年(昭和16年)には国民学校令公布により平磯町立磯崎国民学校に改称し[23][25]、さらに戦後の学校教育法施行にあたって、平磯町立磯崎小学校に改称した[24][25]。以後の市町村合併によって、1954年(昭和29年)3月31日には那珂湊市立磯崎小学校、1994年(平成6年)11月1日にはひたちなか市立磯崎小学校に改称している[25]。2021年(令和3年)4月1日にひたちなか市立美乃浜学園が開校することに伴い[2]、その前日をもって閉校した[10]。 2011年(平成23年)に発生した東日本大震災の影響で2階建てのRC造校舎が損壊し、2011年から約2年間は旧茨城県立那珂湊第二高等学校の校舎で授業を実施していた[25]。なお、校舎は2013年(平成25年)に軽量鉄骨造で再建されている[25]。 2020年(令和2年)度の在籍児童数は63名で、2021年(令和3年)3月31日の閉校時点での卒業生総数は5,220名である[9]。 阿字ケ浦小学校(1878年 - 2021年)→「ひたちなか市立前渡小学校 § 概歴」も参照
1878年(明治11年)7月1日に、阿字ケ浦小学校の前身となる前浜小学校が開校した[21][26]。1881年(明治14年)に一度廃止されるが、1885年(明治18年)5月3日に再び設置される[21][26]。しかし、翌年4月1日からは前渡尋常小学校[注 6]と統合し、再び廃止される[21][26]。1890年(明治23年)には、前渡尋常高等小学校前浜分教場[注 7]が設置され[27]、これが1904年(明治37年)2月4日に前渡尋常小学校[注 8]として再び独立する[21][26][27]。1934年(昭和9年)4月2日には高等科が設置されると同時に、阿字ケ浦尋常高等小学校に改称した[26]。その後、1941年(昭和16年)には国民学校令公布により阿字ケ浦国民学校に改称し[23][25]、さらに戦後の学校教育法施行にあたって、前渡村立阿字ケ浦小学校に改称した[24][26]。以後の市町村合併によって、1954年(昭和29年)3月31日には那珂湊市立阿字ケ浦小学校、1994年(平成6年)11月1日にはひたちなか市立阿字ケ浦小学校に改称している[26]。2021年(令和3年)4月1日にひたちなか市立美乃浜学園が開校することに伴い[2]、その前日をもって閉校した[10]。 2020年(令和2年)度の在籍児童数は105名で、2021年(令和3年)3月31日の閉校時点での卒業生総数は3,161名である[9]。 平磯中学校(1947年 - 2021年)1947年(昭和22年)4月1日に学校教育法が施行されたことにより、同年5月3日に平磯町立平磯中学校として開校した[24][29]。開校時は平磯小学校の敷地内に併設する形であったが、1955年(昭和30年)9月20日に平磯町3550番地に校舎が完成し、同地に移転している[24][29]。なお、市町村合併によって、1954年(昭和29年)3月31日には那珂湊市立平磯中学校、1994年(平成6年)11月1日にはひたちなか市立平磯中学校に改称している[29]。その後、2021年(令和3年)4月1日にひたちなか市立美乃浜学園が開校することに伴い[2]、その前日をもって閉校した[10]。 2020年(令和2年)度の在籍生徒数は138名で、2021年(令和3年)3月31日の閉校時点での卒業生総数は10,665名である[9]。 磯崎中学校(1947年 - 1948年)1947年(昭和22年)4月1日に学校教育法が施行されたことにより、平磯町立磯崎中学校として開校した[24]。翌年に平磯町立平磯中学校に統合されている[9][24]。 阿字ケ浦中学校(1947年 - 2021年)1947年(昭和22年)に学校教育法が施行されたことにより、前渡村立阿字ケ浦中学校として開校した[9][24]。開校時は阿字ケ浦小学校の敷地内に併設する形であったが、阿字ケ浦町610番地に校舎が完成すると、同地に移転している[24]。なお、市町村合併によって、1954年(昭和29年)3月31日には那珂湊市立阿字ケ浦中学校[9][24]、1994年(平成6年)11月1日にはひたちなか市立阿字ケ浦中学校に改称している[9]。その後、2021年(令和3年)4月1日にひたちなか市立美乃浜学園が開校することに伴い[2]、その前日をもって閉校した[10]。 2020年(令和2年)度の在籍生徒数は31名で、2021年(令和3年)3月31日の閉校時点での卒業生総数は3,249名である[9]。 美乃浜学園(2021年 - )2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による各校の校舎被災と地域の少子化を機に、学校再編の検討が始まった[30]。 2021年(令和3年)4月1日、ひたちなか市立美乃浜学園として、ひたちなか市立平磯小学校、ひたちなか市立磯崎小学校、ひたちなか市立阿字ヶ浦小学校、ひたちなか市立平磯中学校、ひたちなか市立阿字ケ浦中学校の5校を統合の上で開校した[2]。 年表変遷
国際会議
受賞
施設敷地建物
学校規模2023年(令和5年)5月1日現在の学校規模は以下の通りである[39]。
部活動常設部活動常設の部活動は以下の通りである[40]。 特設部活動通学区域以下の町丁字とその範囲を通学区域として指定している。
通学区域内の主要施設通学区域が隣接する学校小学校中学校脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク |