ちょっとの雨ならがまん
『ちょっとの雨ならがまん』(ちょっとのあめならがまん)は1983年に製作された日本のパンクドキュメンタリー映画。安田潤司監督。 概要映画『素晴らしき日々も狼狽える』『ファー・イースト・ベイビーズ』や伝説のハードコア・パンクバンドG.I.S.M.のオフィシャルビデオ、頭脳警察、イエロー・モンキー、LUNA SEA、globeなどのMVを監督した安田潤司が、横浜放送映画学校(日本映画大学の前身)に在校時、21歳だった1983年に監督制作した当時のパンク、ハードコパンクシーンを8mmフィルムで撮影したパンクドキュメント映画である。 タイトルは、GAUZEの曲「戦場」の歌詞から引用されている。この曲は1982年にCITY ROCKERレーベルから発売されたオムニバスアルバム「CITY ROCKERS」の中に収録されている。また、本作のエンディングにも使用されている。 内容1981年頃、日本のパンク・アンダーグラウンドシーンにGAUZE 、G.I.S.M.、THE EXECUTE、THE COMESなどのハードコアパンクが登場、演奏スピード、歌詞やパフォーマンスの過激さもあり音楽雑誌の『DOLL』『宝島』をはじめ多くのメディアに取り上げられる。 この映画は当時のパンクおよびハードコアパンクを中心に活動していたバンドのライブ映像とバンド、映画監督の石井聰亙などのインタビュー、客のコメントのカットバック、THE STALIN-サルのアニメーション、カリグラフ、そしてパンクシーンを傍観する1人の少女のモノローグで構成されている。このモノローグは、ライブシーンの過激さとは対照的にとてもクールな口調で語られている。
というモノローグからラストシーンを迎え、渋谷の交差点(現・109前)で大きな白旗を掲げた少女が叫ぶ。 「少年はいつも動かない!世界ばかりが沈んでいくんだ!」 出演ライブ インタビュー
スタッフ
製作
「製作」としてクレジットされた「スローターハウス」とは、唐原理恵と出演者の米屋奈巳が居住していた川崎市木月(元住吉)の住宅に設けられた事務所である。本作の完成後に解散した。 上映映画完成後、安田は後輩の大坪草次郎とともに、パンク映像などをリリースする「P.P.P.project」を立ち上げ、本作の上映主体とした。 1983年、文芸坐ル・ピリエで公開、SOLD OUTとなる。 1984年7月、池袋文芸坐にて開催された「オールナイト・フィルムGIG」(本作のほかに『爆裂都市 BURST CITY』(監督・石井聰互)、『闇のカーニバル』(監督・山本政志)、『アナーキー/ノットサティスファイド』(監督・太田達也))では、会場のキャパシティが300席のところに600人のパンクスや客が集まり、会場に入りきれないパンクスが暴れて騒ぎになるが、急遽隣接する文芸坐の別館でも上映することで対応した。この上映会は同年の「黒澤明特集」に次ぐ動員記録となった。 同年8月、安田は文芸座ル・ピリエでパンクやロック映画のみを5日間上映する「PUNKS 5DAYS」を開催。本作のほかに『パンクス青の時代』『G.I.S.M.』『アジアの逆襲』(監督・石井聰互)、『闇のカーニバル』、『無防備教室』(監督・諸沢利彦)、『アナーキー/ノットサティスファイド』、『カンカンランラン』(監督・塚本雪介)、『カスッカスッ』(監督・Mオーツボ/大坪草次郎)が上映された。 以後、日本各地のミニシアターや新宿ロフト(シネロフト)などのライブハウス[1]、京都大学西部講堂など[要出典]各地で上映を重ね、延べ5万人に及ぶ動員を記録したが、1994年の上映を最後に一切の上映をやめ、ビデオ化されることもなかった[2]。 再公開最後の上映から24年が経過した2018年8月から、デジタルリマスターされた形で、安田の『ファー・イースト・ベイビーズ』(1993年)との併映という形で全国の映画館で順次公開された[3]。 宇川直弘が主宰するメディアのDOMMUNEでは「JAPANESE HARD CORE PUNK MOVIE / 安田潤司の世界」という特番も組まれた[4]。 脚注
外部リンク
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