おりおん

おりおん
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本(1973-1989)
パナマの旗 パナマ
キプロスの旗 キプロス
イタリアの旗 イタリア(2012-)
所有者 大洋フェリー(1973-1979)
関西汽船(1979-1984)
名門大洋フェリー(1984-1989)
ミノアンラインズ英語版
Adria Ferries
運用者 大洋フェリー(1973-1977)
フジフェリー(1978-1979)
関西汽船(1980-1984)
名門大洋フェリー(1984-1989)
ミノアンラインズ英語版
Adria Ferries
アルジェリアフェリー英語版
建造所 林兼造船下関造船所
姉妹船 ぺがさす(初代)
IMO番号 7302342
改名 おりおん(1973-1979,1984-1989)
フェリーにしき丸(1979-1984)
DAEDALUS(1989-2005)
RIVIERA ADRIATICA(2005-2012)
CLAUDIA PRIMA(2012-)
経歴
起工 1972年
進水 1972年
竣工 1973年
就航 1973年4月
運航終了 1989年3月
要目
総トン数 7,174 トン
全長 140.9 m
22.4 m
深さ 8.0 m
機関方式 ディーゼル
主機関 2基
推進器 2軸
出力 20,000馬力
航海速力 21.5ノット
旅客定員 700名
車両搭載数 トラック90台、乗用車100台
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おりおんは、大洋フェリーが運航していたフェリーフジフェリー関西汽船で運航された後、再び名門大洋フェリーで就航した。

概要

大洋フェリーの第一船として林兼造船下関造船所で建造され、1973年4月に大阪 - 苅田航路に就航した。

1977年3月、さんふらわあさんふらわあ2の就航により、定期運航から外れ常石造船に係船された。1978年11月、日本カーフェリーに売却されたいせ丸の代船としてフジフェリーに用船され、東京 - 松阪航路に就航した。

1979年11月、九州急行フェリーへの営業譲渡によるフジフェリーの解散で用船解除され、関西汽船に売却され、フェリーにしき丸となり、1980年12月、別府航路に就航した。

1984年12月、フェリーこがね丸(元太平洋沿海フェリーあるごう」)とともにさんふらわあさんふらわあ2と等価交換され、名門大洋フェリーに復帰、船名を再びおりおんとした。

1989年3月、ニューおりおんの就航により引退した。

1989年ギリシャミノアンラインズ英語版へ売却され、DAEDALUSとなり、1991年パトラ - イグメニッツァ - コルフ - アンコーナ航路に就航した。2002年セサロニキ - キクラデス - ティノス - ミコノス - パロス - ナクソス - サントリーニ - ヘラクリオン航路で運航された。

2005年アルバニアのAdria Ferriesに売却され、RIVIERA ADRIATICAとなり、アンコーナ - ドゥラス航路、バーリ - ドゥラス航路に就航した。 2006年アルジェリアフェリー英語版に傭船され、マルセイユ - アルジェアリカンテ - アルジェ航路で運航された。 2012年CLAUDIA PRIMAに船名を変更した。

航路

大洋フェリー

  • 大阪港 - 苅田港

フジフェリー

  • 東京港 - 松坂港

関西汽船

  • 大阪港 - 神戸港 - 今治港 - 松山港 - 別府港

名門大洋フェリー

  • 大阪南港 - 新門司港

設計

船体塗装は柳原良平によるデザインで、白い船体に側面に巨大な流れ星が描かれた。ファンネルは、商船三井系列のオレンジファンネルグループ(日本沿海フェリーフジフェリー九州急行フェリー大洋フェリー)にちなんでオレンジに塗装されていた。

事故

貨物船衝突

1973年5月30日1時20分頃、愛媛県梶取ノ鼻灯台西沖にて濃霧の影響によりタンカー第3進興丸と本船が衝突、負傷者はなかったものの第3進興丸の右舷2番タンクが破損し重油が流出した[1]

脚注

  1. ^ フェリー事故相次ぐ濃霧の瀬戸内海タンカーと衝突安芸灘大阪湾で機帆船と乗客はいずれも無事 - 北海道新聞1973年6月30日夕刊

外部リンク