株式会社誠文堂新光社(日语:株式会社誠文堂新光社/~せいぶんどうしんこうしゃ)是日本出版社,總部位於東京都文京区。
歷史
1912年6月1日,茨城縣出身的小川菊松離開經營大批量雜誌的大型中間商至誠堂,創立在東京市内活動、專營書籍的小型中間商誠文堂,即俗称的セドリ屋(小中介)。
1913年,加入出版行業,首部出版物是1913年9月21日發行的澀川玄耳著作《任性》(わがまゝ)。由於出版事業更成功,1916年左右開始放棄中介經銷業務,專心發展出版事業。
1935年,兼併新光社,改為現名。
兼併後至昭和40年代左右(除太平洋戰争時期),公司同時經營園藝植物及熱帶魚的進口代理,以及送貨到車站的通信販賣業務。作為出版社,主要知名於寵物相關書籍,理工学及人文科学、設計、美術、教育等學術書籍,以及兒童書籍。
至於在自家出版社出版了《最新愛犬讀本》、《獵犬槍獵射擊事典》(猟犬銃猟射撃事典)、《出版興亡五十年》,留名日本近代出版史的小川菊松,則因身体狀況欠佳,於1962年7月3日在家中選擇以散彈槍自殺[6][7]。
1998年,因不動產事業失敗陷入經營危機。1998年9月10日,出版營業權轉移至1997年10月推行事業部制期間設立的[8]株式会社朋文社,朋文社同日改名「誠文堂新光社」。[9][10][11]而原誠文堂新光社則更名為株式会社誠新地產(誠新エステート)並繼承債務[11]。隨著公司体制改變,員工由78人裁剪至52人,雜誌《Herb》、《貓貓俱樂部》停刊,同時轉讓《Brain》至宣傳會議[8]。
新光社
1916年9月,仲摩照久創立新光社,先後出版《科学画報》、《少年Graph》(少年グラフ)、《無線科学講座》、《万有科学大系》。1926年1月10日,因負債28万日元而破產。和仲摩有交流的誠文堂社長小川菊松決定伸出援手,於同年9月創立株式会社新光社,継承原先業務。小川擔任新公司社長,仲摩亦出任重要職務。依仲摩請求,1935年4月30日,誠文堂兼併新光社。
現有雜誌及雜誌書
來源:[12]
雜誌
- 孩子的科學(1924年創刊)
- 天文指南(1965年創刊)
- 無線與實驗(1924年創刊)
- 農耕與園藝(農耕と園芸,1946年創刊)
- Florist(フローリスト,1984年創刊)
- 愛犬之友(愛犬の友,1952年創刊) - 接收自愛犬之友社
- idea(1953年創刊)
- 陶工房(1996年創刊)
- Design Note(デザインノート,2004年創刊)
雜誌書
- Illust Note(イラストノート,2006年創刊)
- Companion Bird(コンパニオンバード,2004年創刊)
- 兔子時間(うさぎの時間,2008年創刊)
Web雜誌
- 讀物.com(よみもの.com(よみものどっとこむ),2016年公開)
過去主要書籍及雜誌
來源:[12]
書籍
- 日美会話手帳(1945年) - 誠文堂新光社策劃,以關聯企業科学教材社名義發行。於二戰結束1個月的9月15日發售(發行日期為10月3日),不久便賣出超過360万本[13]。
- 全天恒星圖1950年分点、全天恒星圖2000年分点
- 玉川百科大辞典(1963年)
- 玉川兒童百科大辞典(1967年)
- AIRGUN CATALOGUE(2006年版)
叢書
- 少年技師手冊(1929年 - 1931年)
- 模型製作新手冊(模型製作ニューハンドブック,1936年 - 1939年)
雜誌
- 商店界(1921年 - 1993年) - 接收自商店界社
- 科学画報(1923年 - 1950年、1956年 - 1961年) - 接收自科学画報社
- 廣告界(1926年 - 1941年) - 接收自商店界社
- 航空少年(1941年 - 1945年)
- 初步廣播(1948年 - 1992年)
- 圍棋(1951年 - 2012年) - 接收自青桐社
- 學生的科學(1961年 - 1962年)
- Brain(ブレーン,1961年 - ) - 1998年12月号起轉移至宣傳會議
- Garden Life(ガーデンライフ,1962年 - 1990年)
- 電子展望(1964年 - 1983年)
- Herb(ハーブ,1991年 - 1998年)
- 貓貓俱樂部(ねこ倶楽部,1993年 - 1998年)
- Audio Craft Magazine(オーディオクラフト・マガジン,2000年 - 2001年)
- DOG FAN (2000年 - 2009年)
- 大人的工作讀本(2002年 - 2006年)
- 鐵道画報(2005年 - 2007年)
脚注
- ^ 1.0 1.1 株式会社誠文堂新光社 第38期決算公告. [2020-01-05]. (原始内容存档于2019-07-20).
- ^ 小川 菊松(オガワ キクマツ)とは. コトバンク (日语).
- ^ 植田康夫. エディターシップによる「知」の創生 (PDF). コミュニケーション研究 (上智大学コミュニケーション学会). 2008-01-26, (38): 8. ISSN 0288-5913.
- ^ 8.0 8.1 新生・誠文堂新光社スタート 効率重視の出版で 瀧田社長. 文化通信 (3269) (文化通信社). 1998-10-05: 4.
- ^ 生き残り図る出版社 のれんで救われた中公. 朝日新聞. 1998-11-08: 13.
- ^ 大手・名門出版の危機感, AERA, 1998-11-16, 11 (46): 13–14
- ^ 11.0 11.1 出版営業権を譲渡 誠文堂新光社、苦しい選択. 文化通信 (3267) (文化通信社). 1998-09-21: 4.
- ^ 12.0 12.1 歴史・沿革. 株式会社誠文堂新光社. 2019-09-17 [2020-01-05]. (原始内容存档于2021-02-27) (日语).
- ^ [戦後ベストテン]「日米會話手帳」=1945年 3か月弱で360万部. 讀賣新聞夕刊. 1995-05-13: 2.
参考文献
- 小川, 菊松, 出版興亡五十年, 誠文堂新光社, 1953-08-05
參見
外部連結