甲斐國(日语:甲斐国〔甲斐國〕/かいのくに〔かひのくに〕 Kainokuni */?),是日本古代的令制國之一,屬東海道,亦稱為甲州(こうしゅう)。其位置相當於現代日本行政區中的山梨縣。
郡
人物
国司
奈良時代
- 丹比間人乙万呂(天平10年4月か、『正倉院文書』)
- 馬史比奈麻呂(天平13年12月10日、『続日本紀』以下も同じ)
- 山口忌沙弥麻呂(天平宝字5年10月1日)
- 坂上大忌苅田麻呂(天平宝字8年10月20日)
- 豊国真人秋篠(宝龜元年9月16日)
- 粟田朝臣鷹守(宝龜3年4月20日)
- 山上朝臣船主(宝龜9年3月10日)
- 藤原朝臣内麻呂(延曆元年閏正月17日)
- 紀朝臣豊庭(延曆3年4月30日)
- 大伴王(延曆8年3月16日)
- 橘朝臣安麻呂(延曆10年7月4日)
平安以降
守護
鎌倉幕府
- ? - 元德3年/元弘元年(1331年) : 武田三郎(政義?)
室町幕府
- 光明3年/延元元年(1336年) - ? : 武田政義
- 觀應2年/正平6年(1351年) - 延文4年/正平14年(1359年) : 武田信武
- 延文4年/正平14年(1359年) - 應安元年/正平23年(1368年) : 武田信成
- 應安6年/文中2年(1373年) - 至德2年/元中2年(1385年) : 武田信春
- ? - 應永24年(1417年) - 武田信滿
- 應永25年(1418年)- 應永26年(1419年) : 武田信元
- 應永30年(1423年)- 宝德2年(1450年) : 武田信重
- 宝德2年(1450年)- 康正元年(1455年) : 武田信守
- 康正元年(1455年)- 文正元年(1466年) : 武田信昌
- 明應3年(1494年)- 永正4年(1507年) : 武田信縄
- 永正4年(1507年)- 天文10年(1541年) : 武田信虎
- 天文10年(1541年)- 天正元年(1573年) : 武田晴信(信玄)
戰国時代
戰国大名
- 武田氏 : 武田信玄在位時為全盛期、武田氏宗家1582年滅亡。
- 小山田氏 : 甲斐東部郡内地方領主。1582年滅亡。
- 穴山氏 : 武田氏庶流、河内地方(現在西八代郡、南巨摩郡一体)領主。
織豊政權大名
- 穴山梅雪・勝千代 : 河内下山(巨摩郡)、1582年 - 1587年。
- 河尻秀隆 : 梅雪河内領(不含甲斐一國)與信濃諏訪領22万石、1582年 - 1582年。
- 德川家康 : 1582年 - 1590年。1590年、移封江戶
- 豐臣秀勝 : 甲斐・信濃2國、1590年 - 1591年(移封美濃)
- 加藤光泰 : 甲斐一國24萬石(甲府城)、1591年 - 1593年(朝鮮出兵中病逝。)
- 淺野長政・幸長 : 甲斐一國21萬5千石(甲府城)、1593年 - 1600年(關原之戰後、紀州藩37萬6千石に移封)
武家官位甲斐守
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