此條目介紹的是朝鮮歷史中統一新羅的行政區劃。關於日本國四大島嶼之一,請見「
九州 (日本)」。關於中國古代漢族先民傳說中的地理區劃,後被用作中國、漢地等概念的代稱,請見「
九州 (中国)」。關於九州的其他意思,請見「
九州」。
新罗九州是统一新罗模仿中原的九州制度而建立的九个州。
在唐朝帮助新罗灭亡高句丽和百济后,新罗模仿中原的九州制度,认为“始备九州”,仿照唐朝,建立起自己的新罗九州和五岳。统一新罗的九州为:良州、尚州、康州、熊州、全州、武州、汉州、朔州、溟州。
统一新罗的首都仍然为古代新罗王国首都金城,今大韩民国庆尚北道庆州市(朝鲜语:경주시),地处当时的尚州;古代百济王国首都泗沘地处当时的熊州;而高句丽王国的首都平壤刚开始不在新罗九州之列。
统一新罗的五岳为: 吐含山(土含山)为东岳、鸡龙山(界龙山)为西岳,地理山(支离山)为南岳、妙香山为北岳(但不在新罗国境内)、八公山(父岳)为中岳。
設置的小京 (括号内为景徳王改称)
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設置年次
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原地名
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現在地名
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所属州
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国原小京(中原京)
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557年(真興王18年)
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高句麗:国原城
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忠清北道忠州市
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漢州
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北原小京(北原京)
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678年(文武王18年)
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高句麗:平原城
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江原道原州市
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朔州
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金官小京(金海京)
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680年(文武王20年)
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金官郡(金官伽耶国都)
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慶尚南道金海市
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良州
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西原小京(西原京)
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685年(神文王5年)
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百済:娘臂城
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忠清北道清州市
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熊州
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南原小京(南原小京[7])
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685年(神文王5年)
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百済:古龍郡
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全羅北道南原市
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全州
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参见
注釋
- ^ 菁州は神文王5年に既存の州から分割設置されたことについて、『三国史記』新羅本紀・神文王紀では「居烈州」からの分割とし、同・地理志・康州条には、「居陁州」からの分割とする。
- ^ 2.0 2.1 『三国史記』新羅本紀・神文王6年2月条
- ^ 百済故地に対する所夫里州の設置とほぼ同年のことと考えられている。(→井上1972)
- ^ 『三国史記』36・地理志・全州条は、完山州の設置を真興王16年(555年)とし、同26年(565年)にいったん廃止、神文王5年(685年)に再設置したとするが、対応する真興王本紀の記事には州治を比斯伐(慶尚南道昌寧郡)としていたり、6世紀中頃には全羅道は未だ百済の支配下にあるために、は下州の誤りであると考えられている。(→井上1980)
- ^ 『三国史記』35・地理志・溟州条には、溟州はもとは高句麗の河西良であり、分注には何瑟羅とある。新羅本紀や異斯夫伝の本文には何瑟羅州の名で現れる。
- ^ 元の比列忽州、後の朔州に相当する州の687年時点の名称について、井上1972は牛首州とするが武田2000により首若州とする。なお、『三国史記』35・地理志・朔州条では朔州の由来を、本文は善徳女王6年(637年)に設置した牛首州とし、分注は文武王13年(673年)に設置した首若州とする。同書・新羅本紀では、善徳女王・文武王の本紀記事には州の改称についての直接的な記事は見られず、景徳王の本紀における地名改称記事(景徳王16年(757年)12月条)では、首若州を朔州としたとしている。
- ^ 景徳王によって改めて南原小京と改称されたわけではない。他の小京は『三国史記』地理志の各条に改称記事が見られるが、南原小京のみ改称の記事が見られない。