橋本 麗子(はしもと れいこ)は、幕末から明治時代の公家女性。
橋本実麗の娘。義兄に橋本実梁。同母妹に池尻胤房の正室橋本松子。子に明治天皇の権典侍橋本夏子。また、叔母・橋本経子(観行院)は仁孝天皇の典侍で和宮の生母であり、麗子は和宮の従姉に当たる。
生涯
和宮の江戸降嫁に従い、江戸に下ったと言われる。その際、大叔母である姉小路(勝光院)に推挙され、大奥になど行きたくないと反発するも、結局大奥へ下らされたとも言われている。大奥では、庭田嗣子、絵島、土御門藤子、鴨脚克子らと共に天璋院、実成院と激しく対立した。役職は庭田嗣子らと同じ上臈上座であった。
顔は容姿端麗とする書物もある。和宮の死後、京へ戻り、明治22年(1889年)に死去した。
結婚と離婚
従四位少納言・東坊城夏長の正室となるが、のちに離縁する。離縁の理由は廷臣八十八卿列参事件からだといわれている。また、男子がなく、養子東坊城任長をとった。しかし本当は橋本夏子は2人の娘(次女)であり、夏子が生まれた翌年(廷臣八十八卿列参事件の翌年)に夏長が死去し、夏長の弟、任長が家を継いだので麗子と夏子は橋本家に戻り、夏子を父の養女にし、和宮の女官として大奥に下った。その後、夏子は実麗の実子として宮仕えする。また、麗子の長女は東坊城房子である。
一族縁者
脚注
- ^ 『国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.277
出典
登場作品