台南市学甲区学甲国民小学(たいなんしがっこうくがっこうこくみんしょうがく)は、台湾台南市学甲区に位置する市立の国民小学校である。
前身は学甲公学校で、1918年に現在の私立天仁工商の位置に移った。
その後、生徒の数が多くなったため、1937年の学甲都市計画に合わせ、1940年に現在学甲国民小学の位置に校舎が移った。[1]
2018年、旧校舎が台南市歴史的建築に登録された。
歴史
- 1906年、学甲公学校が設立され、学甲慈済宮の部屋を借りて授業を行った。
- 1918年、新しい校舎に移り、「頂溪洲分教場」が設立された。
- 1922年、二年制高等科を増設し、「中洲分教場」が設立された。「頂溪洲分教場」は独立され頂溪洲公学校になった。
- 1923年、「宅子港分教場」が設立された。
- 1926年、「中洲分教場」は独立され中洲公学校になった。
- 1939年、「宅子港分教場」は独立され宅子港公学校になった。
- 1940年、学甲公学校は現在位置する場所に移った。
- 1941年、《台湾教育令》の修正及び、学甲国民学校に改称された。
- 1946年、戦後は台南県学甲郷第一国民学校に改名された。
- 1947年、台南県学甲郷学甲国民学校に改名された。
- 1957年、新栄、文化、美和、達明の四つの分校が設立された。
- 1961年、新栄分校が独立され、「東陽国民学校」に命名された。そして文化、美和二つの分校が東陽国民学校に属していた。
- 1968年、九年一貫国民義務教育が実施されたため「台南県学甲町学甲国民小学校」に改名された。
- 1993年、「学甲国民小学校附設補習学校」が設立された。
- 1996年、「特殊教育クラス」が設立された。
- 2006年、創校100周年記念イベントが開催された。
- 2010年12月25日、台南市と台南県が一つ直轄市に合併した故、「台南市学甲区学甲国民小学校」に改名された。
- 2014年から2017年まで、台南市の健康促進総合センター学校を目指し、教育省コミュニティ多目的学習センターとして設立された。
- 2016年4月、創校110周年記念イベントが開催された。[2]
歷代校長
日本政府が統治していた時期
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任期順番
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名前
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任期
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備考
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第一任
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鈴木徹
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1906年2月20日-1913年8月13日
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第二任
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勝又珉造
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1913年8月13日-1919年7月8日
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第三任
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木村正喜
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1919年7月8日-1920年9月1日
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第四任
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井上富士
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1919年9月1日-1919年10月5日
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第五任
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古賀房次郎
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1920年10月5日-1923年4月14日
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第六任
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土持武熊
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1923年4月27日-1938年9月22日
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第七任
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前元真良
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1938年9月22日-1941年10月25日
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第八任
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片山侄
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1941年10月25日-1944年3月31日
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第九任
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勝木俊美
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1944年3月31日-1945年8月31日
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中華民国政府が統治している時期
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任期順番
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名前
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任期
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備考
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第一任
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陳紅
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1945年8月31日-1947年8月31日
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第二任
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李廷燕
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1947年9月1日-1971年1月1日
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第三任
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蘇瑞太
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1971年1月1日-1976年7月31日
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第四任
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林聰明
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1976年8月1日-1990年7月31日
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第五任
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許崑林
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1990年8月1日-1991年11月1日
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第六任
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莊登進
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1991年11月2日-1992年2月28日
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代理校長
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第七任
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李振福
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1992年3月1日-1997年9月1日
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第八任
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吳春明
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1997年9月1日-2005年7月31日
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第九任
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李素珍
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2005年8月1日-2009年7月31日
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第十任
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林炳宏
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2009年8月1日-2015年7月31日
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第十一任
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蔡玉葉
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2015年8月1日-2019年6月30日
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第十二任
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方啟丞
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2019年7月1日-2019年7月31日
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代理校長
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第十三任
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陳敏男
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2019年8月1日-今迄
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脚注