佐々木 弥基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
秋田県由利本荘市 |
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生年月日 |
(1972-04-29) 1972年4月29日(52歳) |
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身長 体重 |
180 cm 88 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
内野手 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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コーチ歴 |
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佐々木 弥(ささき わたる、1972年4月29日 - )は、秋田県由利郡大内町出身の社会人野球の元選手(内野手)。右投右打。
来歴
大内町立下川大内小学校(のち由利本荘市立)から大内中学校を経て、本荘高では甲子園の出場経験なし。
卒業後地元のTDKに入社。当時の社会人野球は金属バットを使用していたことから、高卒の佐々木にとって違和感なく打撃に取り組むことができ、比較的若いうちから試合に多く出場していた。
1990年代後半からはチームの主砲として4番に座り、自チームだけでなく他チームの補強選手としても都市対抗野球大会に出場している。
2006年シーズンから、経験を買われ、コーチ兼任内野手として登録されるようになった。
2008年限りで現役を引退し、2009年からはコーチ専任となった。
その後コーチを退任し、2021年現在は秋田県野球協会の強化委員を務めている[1]。
エピソード
選手として大きな転機となったのは同年の第77回都市対抗野球大会。七十七銀行から補強した高橋利信、岩手21赤べこ野球軍団から補強した高倉啓司に挟まれるように4番に座った佐々木は打棒を爆発させる。1回戦(対伯和ビクトリーズ(東広島市)戦)ではノーヒットと振るわなかったが、2回戦(対JR東海(名古屋市)戦)では0-2のビハインドで迎えた7回裏に反撃ののろしとなるホームランを打ち、準々決勝(対ホンダ(狭山市)戦)では4四死球で出塁、準決勝(対日本通運(さいたま市)戦)では0-3で迎えた3回表に反撃の開始となるソロホームランを打ち込んだだけでなく、3-5で迎えた7回表には逆転のグランドスラムをレフトスタンドに叩き込んだ。そして決勝戦(対日産自動車(横須賀市)戦)でも1安打を放ち、チームの初優勝に貢献。橋戸賞(MVP)こそ5試合登板のエース・野田正義に譲ったが、3本塁打が評価され、打撃賞と大会優秀選手(一塁手部門)を受賞した。また、同年の社会人ベストナイン(一塁手部門)も受賞した。
日本代表キャリア
なし
主な表彰、タイトル
脚注
関連項目