ジョージ・ホール (野球)

ジョージ・ホール
George Hall
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 イングランドの旗 イングランド
ステップニー
生年月日 1849年3月29日
没年月日 (1923-06-11) 1923年6月11日(74歳没)
身長
体重
5' 7" =約170.2 cm
142 lb =約64.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1871年5月5日
最終出場 1877年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョージ・ウィリアム・ホール(George William Hall、1849年3月29日 - 1923年6月11日)は、イングランドステップニー生まれのプロ野球選手外野手)。左投げ、左打ち。

ナショナルリーグの初代『本塁打王』となったが、1877年の八百長事件に加担し永久追放処分となった。

経歴

1871年にアメリカ最初のプロ野球リーグである「ナショナル・アソシエーション」が発足した際、ワシントン・オリンピックスに入団しプロ選手となった。1872年から2年間所属したボルチモア・カナリーズでは、88試合に出場し.340前後の打率を残す。守備では主にセンターを守っていた。

1874年にボストン・レッドストッキングス(現:アトランタ・ブレーブス)に移籍しリーグ優勝を経験し、翌年から2年間はフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックスとは無関係)に所属した。ホールの通算本塁打数は13本だが、うち9本をアスレチックス在籍時に放っており、1875年の4本塁打はリーグ2位、ナショナルリーグ初年度の5本塁打はリーグ最多の成績であった。

1876年に所属していたアスレチックスがリーグを除名(遠征費が払えず最後まで試合を消化しなかったため)されたことを受け、1877年にルイビル・グレイズに所属する。ルイビルでも打率.323、8本の三塁打を打つなどの活躍をしたが、同年グレイズが起こした八百長試合に加担したとして、ジム・デブリンほか4選手とともに永久追放処分を受けた[1]。1923年にニューヨークで死去。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1871 OLY 32 144 136 31 40 3 3 2 55 17 2 1 - - 8 - - 0 0 .294 .333 .404 .738
1872 BAL 53 253 250 69 84 17 6 1 116 37 8 1 - - 3 - - 1 0 .336 .344 .464 .808
1873 35 170 168 44 58 6 4 0 72 31 0 0 - - 2 - - 1 1 .345 .353 .429 .782
1874 BOS 47 223 222 58 64 10 8 1 93 34 2 0 - - 1 - - 0 0 .288 .291 .419 .710
1875 ATH 77 361 358 71 107 10 12 4 153 62 8 5 - - 3 - - 4 1 .299 .305 .427 .732
1876 60 276 268 51 98 7 13 5 146 45 - - - - 8 - - 4 - .366 .384 .545 .929
1877 LOU 61 281 269 53 87 15 8 0 118 26 - - - - 12 - - 19 - .323 .352 .439 .791
MLB:7年 365 1708 1671 377 538 68 54 13 753 252 *20 *7 - - 37 - - 29 *2 .322 .337 .451 .787
  • 「-」は公式記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録

  • ナショナルリーグ最多本塁打:1876年

関連項目

脚注

  1. ^ http://sabr.org/bioproj/person/82a2011a SABR Biography 2017-05-02閲覧.

外部リンク