初代ラグラン伯爵および第3代セルカーク伯爵ジョン・ハミルトン(英語: John Hamilton, 1st Earl of Ruglen, 3rd Earl of Selkirk、1665年1月26日洗礼 - 1744年12月3日)は、スコットランド貴族。
生涯
ハミルトン公爵ウィリアム・ダグラス=ハミルトンと第3代ハミルトン女公爵アン・ハミルトンの四男として生まれ、1665年1月26日にハミルトンで洗礼を受けた[1]。
1697年4月14日、ラグラン伯爵、リッカートン子爵、ヒルハウス卿(いずれもスコットランド貴族)に叙され、1698年7月19日にスコットランド議会(英語版)議員に就任した[1]。スコットランド造幣局局長も務めたが、政府の施策に反対したため解任された[1]。
1739年3月13日に兄チャールズが死去すると、セルカーク伯爵の爵位を継承した[1]。
1744年12月3日にエディンバラで死去、クラモンド(英語版)で埋葬された[1]。セルカーク伯爵の爵位は弟ベイジル(Basil)の孫ダンバー(英語版)が、ラグラン伯爵の爵位は娘アンが継承した[1]。
家族
1694年6月21日、アン・カセルス(Anne Cassilis、第7代カセルス伯爵ジョン・ケネディの娘)と結婚[1]、1男2女をもうけた[2]。
- ウィリアム(1696年 – 1742年2月20日) - リッカートン子爵の儀礼称号を使用
- アン(1698年 – 1748年) - 第2代ラグラン女伯爵
- スーザン(1699年11月1日 – 1763年2月8日) - 1738年10月6日以降、第8代カセルス伯爵ジョン・ケネディと結婚
1701年3月22日、エディンバラでエリザベス・ハッチンソン(Elizabeth Hutchinson、1672年頃 – 1734年3月10日、チャールズ・ハッチンソンの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
出典