美術館のメインゲート近くの2頭のライオン像のうちの1頭
シカゴ美術館 (英 : The Art Institute of Chicago )は、アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ市 内にある美術館 である。ニューヨーク のメトロポリタン美術館 、ボストン市 にあるボストン美術館 とともにアメリカの三大美術館の1つに数えられる。館名は日本語では「シカゴ美術研究所」、「シカゴ・アート・インスティテュート」などと表記される場合もある。
歴史
シカゴ美術館の前身は、1866年 、市内ディアボーン通りのアトリエに設立された「シカゴ・アカデミー・オブ・デザイン」(Chicago Academy of Design)であった。このアカデミーは1868年 から授業を開始し、1870年 にはウェスト・アダムズ通りに移転したが、翌1871年 のシカゴ大火で焼失。1879年 に「シカゴ・アカデミー・オブ・ファイン・アーツ」(Chicago Academy of Fine Arts)として再発足した。通常、この1879年をもってシカゴ美術館の設立年としている。1882年 、「シカゴ美術研究所」(The Art Institute of Chicago)と改称した。
19世紀末に向けてのアメリカ合衆国での万国博覧会 ブームは、美術学校、美術館設立の機運を大きく高めたが、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン やボストン美術館 などと同様、その流れのなかで設立されている。いずれの機関も美術館と美術学校の一体的な設立・運営を特徴とする(20世紀に入ると学校認可のハードルが次第に高くなるため、この方式は難しくなる)。そのスクール部門「シカゴ美術館附属美術大学 」(The School of the Art Institute of Chicago 略称SAIC)の評価は、美術館部門と同様にきわめて高く、U.S. News & World ReportなどのMFAランキングでは、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン 、イェール大学 などと例年一位を競い合っている。
本館の建物は、1893年 のシカゴ万国博覧会 の際に建てられたものである。その後数度にわたり増築が行われ、展示室の構成はかなり複雑になっている。日本ギャラリー(屏風ギャラリー)は安藤忠雄 の設計になるものである。また、2009年にはレンゾ・ピアノ 設計による新館が建設された[ 2] 。
収蔵品は、古代から現代に至る各地域、時代のものを含み、ヨーロッパ 、アメリカ合衆国 などの西洋美術のみならずアジア 、アフリカ 、オセアニア 、メソアメリカ などの美術を広く収集している。ヨーロッパ美術ではモネ 、ルノワール 、スーラ など、フランス印象派 やその周辺のヨーロッパ近代絵画が充実している。スーラの代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後 』は当館の代表的収蔵品として知られている。アメリカ合衆国の美術では、最初期のハドソン・リバー派 から現代作品まで、その200年の歴史における代表的作品を多く収蔵している。なかでもグラント・ウッド の『アメリカン・ゴシック 』とエドワード・ホッパー の『ナイト・ホークス 』は著名で、当館の看板作品となっている。また、中国の青銅器、陶磁器、日本の浮世絵 など、東洋美術のコレクションも欧米では有数のものである。地下展示室には、欧米のインテリアのミニチュアを集めたコーナーもある。
アメリカの他の大美術館同様、当館においても個人コレクターからの寄贈がコレクションの充実に大きく寄与している。実業家ポッター・パーマー夫人のバーサ・パーマーは、印象派絵画のもっとも初期のコレクターの1人であるが、彼女のコレクションは1924年 に寄贈された。また、スーラの『グランド・ジャッド島の日曜日の午後』を含むヘレン・バートレット・コレクションは翌1925年 に寄贈されている。
主な収蔵品
Category:シカゴ美術館の所蔵品 も参照
ギャラリー
ロセッティ 『ベアータ・ベアトリクス』
1871年-1872年の間
ロートレック 『フェルナンド・サーカスにて』
1888年
セザンヌ 『リンゴの籠のある静物』
1890-1894年
モディリアーニ 『ジャック・リプシッツとその妻』
1916年
参照
外部リンク
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座標 : 北緯41度52分46秒 西経87度37分26秒 / 北緯41.87944度 西経87.62389度 / 41.87944; -87.62389
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