地図
サン=シール=レコール (Saint-Cyr-l'École)は、フランス 、イル=ド=フランス地域圏 、イヴリーヌ県 のコミューン 。
地理
サン=シールはヴェルサイユ の西およそ4km、パリ の南西24kmの位置にあり、ヴェルサイユ、ギュイヤンクール 、モンティニー=ル=ブルトンヌー 、ボワ=ダルシー、フォントネー=ル=フルーリーと接している。
コミューン全体が広大なヴェルサイユ平野の中に含まれ、北部のガリイ川に囲まれるところでは標高が115mとなり、徐々に南へ向かって市街地が広がり、台地上を標高が170mまで上昇していく。コミューンの西側ではA12 と接し、東側はグランド・サンチュール (現在廃線)と呼ばれるヴェルサイユ-サン=ジェルマン=アン=レー 間の路線が通り、北西部をアヴル水道橋が交差する。
コミューンの北部の都市化が遅れており、フランス最古の民営飛行場の1つでもあるサン=シール=レコール飛行場がある。南西は標高175mのガゼの森があり、ハイキング・コースとなっている。
交通
由来
サン=シルとは、4世紀にキリスト教徒迫害で殉教したタルスス の聖クリオス(Cyr de Tarse )にちなむものである。
歴史
陸軍士官学校のリセ
1717年6月11日、ロシア皇帝ピョートル1世 がサン=シルを訪問した。
1686年、マントノン侯爵夫人 によって、貴族の少女たち250人を教育する学校メゾン・ロワイヤル・ド・サン=ルイ(fr )が創設された。1808年より、メゾン・ロワイヤル・ド・サン=ルイの建物がサン=シール陸軍士官学校 に転用された。陸軍士官学校は1802年にナポレオン・ボナパルト によってフォンテーヌブロー で創設されていたが、サン=シールに移転し1940年まで存続した。サン=シールの建物は1944年の連合国側による爆撃で損傷し、陸軍士官学校も1945年に再編された。しかし陸軍士官学校はモルビアン県 のコエキダンに移転した。これらの建物は1964年に再建され、現在は陸軍士官学校のリセ が使用しており、ColdoまたはVieux bahutの愛称で呼ばれている。1966年から1984年までは最初のコレージュも入っていた。
フランス革命 時代、コミューンの名称は一時的にリーブルヴァル(Libreval)、そしてヴァル=リーブル(Val-Libre)と改名させられていた。
1874年3月27日、まちを防衛するためのサン=シール要塞建設の法令が公布された。サン=シールの名がつけられながら、実際の所在地は隣接するボワ=ダルシーにあった。2つのコミューンの境界が変更されたため、現在要塞はモンティニー=ル=ブルトンヌーの領域内にある。
人口統計
1962年
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
2006年
9309
16001
16537
14996
14829
14566
15778
参照元:1962年までEHESS[ 1] 、1968年以降INSEE [ 2] [ 3]
経済
サン=シールには、フランス国立工芸院 に属する空気力学 研究所(fr )がある。研究所には空力研究のための特別のトンネルがあり、多くの公営企業と提携して作品を作っている。
文化
コミューン付属のサン=シーリエンヌ(Saint-Cyrienne)楽団があり、まちの公式行事において年間20回ほど演奏を行っている。楽団は1877年にかつて軍所属の音楽家だった労働者たちによって結成された。第一次世界大戦 においては30人の楽団員の一部が命を落とし、第二次世界大戦 下では活動を禁止された。楽団は1944年にユニオン・ミュジカル・ラ・サン=シーリエンヌ(Union musicale La Saint-Cyrienne)の名称で復活した。現在は80人のメンバーで構成されている。
姉妹都市
脚注