Wikipedia‐ノート:特筆性 (組織)/過去ログ1

はじめに

ウィキペディアはイエローページではありません。広告する場所でもありません。

それにもかかわらず、そのような目的で記事を立てることが見られます。そのようなスパムは百科事典をつくるというウィキペディアの目標にも公益に反します。

とはいえ、それほど顕著ではないが無視すべきでもないボーダーライン上の組織やその製品・サービスの場合、客観的で明確な基準がなければ、執筆時においてまた削除の審議において判断結果がまちまちになる恐れがあります。

そこで、組織やその製品・サービスに関する著名性のガイドラインの確立と周知のため、叩き台とすべく英語版の著名性 (組織)en:Wikipedia:Notability (organizations and companies)の最新版(11:58, 30 December 2007 UTC) を翻訳いたしました。--Consequence 2008年1月3日 (木) 14:41 (UTC)

方針名を「特筆性 (組織)」へ変更する提案

現在、ガイドライン(草案)「Wikipedia‐ノート:著名性#方針名を「特筆性」へ変更する提案」にて、方針名を「著名性」から「特筆性」に変更する提案がなされています。既に定着しつつある「著名性」という語をわざわざ別の語に変更する理由は次のようなものです。

  • Wikipediaに記載すべき「有名な話し」とは、三大基準(WP:V・WP:NOR・WP:NPOV)を満たした「著明(著しく明らか)」なものであり、一般に使われる「世間で良く知られている」ということをさしているわけではありません。
  • Wikipediaは百科事典である特性上、単に「有名」であるというだけでは収録されず、特筆に値するものでなければなりませんが、これまで「著名」という語が「有名」と混同されたり誤解されたりする問題がありました。
  • 商品の詳細やインディーズバンド、同人サークル等の「広告・宣伝」と、真に記事にするべき事柄とを区別するにあたり、「特筆に値するのか」という言い方をすることで線引きが容易になり、また、議論の中心も明確になる利点があります。
  • 著名性の項目の内容は、「特筆に値する」場合の客観的証拠や基準を提供するものとなっています。
  • 「著名性」の元の語である“notability”は“note”+“ability”であり、「特筆性」という語は、より字義に適うものです。

方針名を変更することで多少の混乱や誤解を招き面倒をおかけすることになりますが、皆様のご理解とご協力を賜いますよう何とぞお願い申し上げます。--Consequence 2008年1月30日 (水) 10:34 (UTC)

方針名を「特筆性 (組織)」に変更しました

Wikipedia:著名性とその一連の子ページを特筆性に変更する決定に従い、記事中の「著名性」という文言を文脈に合わせ「特筆性」に変更しました。また同時に、文章をより日本語的なものに修正しました。--Consequence 2008年2月29日 (金) 20:12 (UTC)

企業の特筆性を認める基準の一として、

  • 「特筆性のある証券市場」に上場している企業であること。

と言うのはどうでしょうか?--60.40.216.133 2011年2月10日 (木) 13:27 (UTC)

  • 反対 経営方針により非上場としている企業(サントリー、現在のカルビー、近々上場廃止になるTSUTAYAなど)、あるいは株式会社でない企業(日本生命保険など)に「特筆性がない」とのミスリードを与えかねないことから、極めて非現実的だと思います。--Bsx 2011年2月10日 (木) 13:45 (UTC)
  • 反対 Bsxさんに同じく。--多摩に暇人 2011年2月10日 (木) 14:28 (UTC)
  • 反対 「特筆性のある証券市場」に上場してさえいれば特筆性があると仮定する(非上場企業についてはまた別に考える)、というだけであれば特段に反対する必要はなさそうですが、提案者(IPですが…)の行動をみると、「特筆性のある証券市場に上場」していない企業の記事に画一的に特筆性タグをはり、あるいは削除依頼を出す懸念があるため、反対しておきます。--崎山伸夫 2011年2月11日 (金) 01:40 (UTC)
  • (基本的に賛成) 本ページも含め草案段階での特筆性に関わるガイドライン全般は、特筆性に関して存在があるとみなされる条件を示しているに過ぎず、その条件の1つが満たされないことが直ちに特筆性の欠如を示すものではありません。おそらくは規模の点で考えると上場企業に関しては特筆性があるとみなすこのような条件は妥当だと思います。非公開の大企業を含めて上場していない企業の全てが特筆性が無いような誤解を受けることを恐れるあまり、ガイドラインの大切な役割である指針を示すことを放棄すべきではないでしょう。誤解が起きないような記述上の工夫として、例えば「条件の1つが満たされないことが直ちに特筆性の欠如を示すものでは無い」などを繰り返し書いて説明すべきでしょう。文言としては店頭市場を明確に除外するために「特筆性のある証券市場……」ではなく「証券取引所に上場している企業」とするか、単に「上場している企業」とする方が良いと考えます。--Shigeru23 2011年9月25日 (日) 23:16 (UTC)
  • 賛成 上記の「ミスリードを与えかねない」とのご意見はたいへん尤もなご意見(『上場」していない企業の記事に画一的に特筆性タグをはり、あるいは削除依頼を出す』方がいらっしゃるとは想像も致しませんでしたが)ですが、「東証第一部上場で資本金が16億以上の会社に、上場企業だけではなんら特筆性がない(Wikipedia:削除依頼/株式会社EMシステムズ ‎)」とのミスリードも生じてございます。従いまして株式投資で重要な投資の場となる上場企業はとりあえず無条件で「特筆性があると看做す」とするのがよいと申し上げさせていただきます。基本的に上記Shigeru23さまのご意見に賛成でございます。--HASIDATE会話2013年11月24日 (日) 04:06 (UTC)
  • 賛成 本来多様であるべき「特筆性」を概念化する場合には、その基準も絞り込む方向でなく多様化させる方向性を持たなければ「あるべき姿」に近づけず、柔軟性を失って「教条化」に向かうと思います。「あるべき多様な基準の中の一つの基準」として有効と思います。--Ted&M会話2015年1月25日 (日) 02:55 (UTC)

テンプレート変更の提案

現在、この草案には{{proposed}}が貼られていますが、まだ、正式採用するよう提案できる水準には達していないと思います。そこで、テンプレートを{{draft proposal}}に変更し、正式採用するよう提案できる水準には達した時点で{{proposed}}に戻すことを提案します。デイナイスホテル東京会話2013年12月20日 (金) 13:16 (UTC)

出版社の特筆性について

先日、「出版社」という項目を作って「出版社について、その出版物に特筆性があれば、それは出版社(発行者)の特筆性をも示すものと考えるべきです。出版物から離れて、その出版社自体が会社として何かの話題で新聞記事等に取り上げられているからといって、それをその出版社の特筆性を示す「出典」とすることは本質的ではありません。また、出版物の特筆性をもって出版社の特筆性を示すものとするためには、その出版物をタレント本として話題にしている記事より、新聞や雑誌の「書評」のような、内容を評価した記事を「出典」とすべきです。」と草稿を作成したところ([[1]])、IPユーザーの方から「しれっと己の主張を混ぜ込むでない」という要約文とともに削除されました。語調はかなり上から目線で乱暴なものですが、善意に解釈しますと、このノートでもう少し議論してから草稿として書き込めということかと思います。そこで改めてここでお諮りしたいのですが、私は出版物は出版社の基本的な創造活動の成果物であり、出版社の特筆性を考える場合に最優先で検討されるべきものであって、これに特筆性があれば、出版社の特筆性(特徴とか特質とか特色に限らないnotability)をもそれなりの有意な程度をもって示すものと考えております。みなさんのご意見はいかがでしょうか。拝聴いたしたく存じます。--Ted&M会話2015年1月25日 (日) 04:19 (UTC)

  • 反対 Ted&Mさんは既にノート:牧歌舎WP:SPEEDの文書を案内されていたわけですから[2]、これを無視してWikipedia:特筆性に上記の文言を書き加えたのは[3]、いささか心証を悪くする行為だったと思います。牧歌舎の特筆性が議論されている状況なのだから尚更です。
「出版物は出版社の基本的な創造活動の成果物」というご意見には基本的に同意します。けれども、出版物に特筆性があればその出版社にも特筆性があるか、っていうと、それは違うと思います。これは出版社に限らず、たとえば、芸能人に特筆性があればその芸能事務所にも特筆性があるか、などと置き換えて考えてみても、やはりおかしいと思います。この辺りのことはen:WP:ORGSIGen:WP:INHERITで詳しく触れられています。また、本業の如何にかかわらず、「もし対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値がある」(WP:GNG)と思うので、「出版物から離れて」云々という部分についても反対します。「タレント本として」云々という部分は、ちょっと意味が分かりません。--122.30.99.37 2015年1月31日 (土) 20:46 (UTC)
コメント芸能人に特筆性があればその芸能事務所にも特筆性があるか」と言われれば、当然あると思います。評価の高い芸能人を多数輩出した芸能事務所に特筆性があるのはあまりにも当然です。だから現に多数の芸能事務所が「出典」が全くなくてもWikipediaには立頁されています。それで良いと思います。松下村塾も高杉晋作や久坂玄瑞を輩出したから特筆性があるのです。出版社も評価の高い出版物を多数出版していることが評価されるのは自然なことだと思います。--Ted&M会話2015年2月8日 (日) 11:39 (UTC)
  • 反対 一般に書評は本の内容について評ずるものであり出版社についての言及ではありません。Ted&M氏の作成された牧歌舎の記事においても書評は発行書籍の羅列に使われており出版社についてはなにも語っておりません、書評から出版社の特筆性を示そうとするのは典型的な独自研究でしょう。--203.148.113.109 2015年2月1日 (日) 16:21 (UTC)
コメント表面だけ見ればそうでしょう。しかし書評に書かれていることは「この出版社からこの評価すべき出版物が出版された。その内容は~」というものです。主な対象が出版物の内容であることは当然ですが、出版社についてもこのように言及されています。否定できないことです。これを否定するならそれこそが独自研究です。上にも書きましたが、評価の高い出版物を多数出版していることが出版社の評価につながるのは自然なことで、それを否定する感覚はじつに不自然で、不思議ですらあります。--Ted&M会話2015年2月8日 (日) 11:39 (UTC)
  • 反対 松下村塾は国の史跡指定までされてますし、塾自体の有意な言及が同時代後世問わず山とあります。今回ここで問題になっている件と同列に扱えるものではありません。
大概の書評には出版元も表記されていますが、これはほんとに「どこから出版された」という単なる書誌情報です。それをいくら集めたところで、出来上がるのは著作刊行物リストでしかないでしょう。しかも網羅されている保証もない、公式サイトの劣化版にしかならないという。そのリストから何らかの特徴を抽出し・評価して出版社について書く時点で、執筆者の判断が入りますから百点満点の赫々たる独自研究です。単にリストの紹介にとどめるなら公式サイトなり書店なりに任せればよく、(と言うか適任)百科事典の役目ではありません。(出版社についてついて特に言及した書評が特筆性の担保たり得ることは誰も問題視していないので考慮しません)--240F:65:BD68:1:617E:B002:995D:5203 2015年2月10日 (火) 02:00 (UTC)一部訂正--240F:65:BD68:1:EC35:56B5:9F7E:D634 2015年2月10日 (火) 16:02 (UTC)
  • コメント 松下村塾の特筆性は「有意な言及」があるから認められているのではありません。そんなことを言っているのはWikipediaの方針を誤読している人たちだけです。松下村塾は多くの維新の英傑を世に送り出したから特筆すべきものとされているのです。それが現実です。芸能プロダクションでも出版社でも一版の会社でも、その生み出したもので評価されるのが一番まっとうな評価法です。--Ted&M会話2015年2月10日 (火) 12:22 (UTC)
  • コメント 松下村塾の特筆点が維新志士を輩出した点にある事に異論を唱えた覚えはないんですがね。その業績について、外部の文献による言及や評価が十二分にあると言っているんです。出版社でいえば、出版物のみならず会社自体への言及が十分確保されているような状態ですから、今回の件の引き合いに出すには適していないでしょう。記事対象への分析や評価がすでに外部で十分になされているケースについては問題視している方はいませんし。--240F:65:BD68:1:EC35:56B5:9F7E:D634 2015年2月10日 (火) 16:02 (UTC)
  • コメント コメント依頼から参りました。「漫画家」と一緒と考えるとわかりやすいのではないですか。第一に、その漫画家自身が多くの二次資料によって深く言及されている場合、立項基準に照らして何ら問題はありません。第二に、その漫画家が特筆に値する複数のヒット作(或いは社会に強い影響を及ぼしたなら大ヒット作1本でも可)を描いていらっしゃるか、第一線で長期間活躍していらっしゃるのなら、特筆に値すべきとみるべきでしょう。そして、作品への言及がただちに漫画家への言及にはなりません。出版社等も似たような感じで考えますと、出版社に対する二次資料による十分な言及がある、ヒット作を含めた十分な実績がある、ある本への言及はそれを出版した組織の特筆性の担保にはならない、辺りが基準として有効と考えます。付け加えまして、出版元が企業である場合、広く知られている上場企業であるかどうかも判断の一つの要素となるでしょう。私からのコメントは以上です。--Hman会話2015年2月10日 (火) 23:22 (UTC)
  • コメント 記事に特筆性があるかどうかはもともと読む側が判断すべきであって編集側が判断して決めるのは不遜だというのが私の主張の基本ですが、殊に言論機関に関して立項の規制を行うことには非常な危険性を感じてこの節を設けさせていただいております。出版は比較的小資本でも営める事業であり、このことによって弱者が強者を批判できる「言論の自由」を確保する場を社会に提供しているわけでもあります。これに対して「特筆性」という立項規制が強くかかりすぎれば、「特筆性」の上で有利な大出版社だけが存続し、弱者の少数意見発信の拠点であるマイナーな出版社はバタバタと少なくともWikipedia上からは消えていくことになります。つまり小出版社にこそある「弱者の言論機関」という一般的な意味での特筆性が、WikipediaではWikipediaのつくった「特筆性の基準」により無視され、抹消されるのです。極論すれば、Wikipediaの意に添わない言論機関を次々と消していくことになるわけです。もちろんWikipediaがそのようなことを意図しているとは思いませんが、偶然にか何物かによって画策されてか、ある偏った思想を持つ一団が編集陣に入り込めば、基準が高すぎるために特筆性の条件は満たさないが一応黙認という形で存続しているほとんどの出版社の記事の中から、その偏った思想にとって都合の悪いものを「特筆性不足」として消去し、都合の良いものは特筆性を問わずに残しておくという手法で、Wikipediaを使った「思想誘導」が可能になるわけです。私は絵空事を杞憂しているのではなく、現状における世界の思想的あるいは宗教的観念と結びついた混乱をみるとき、Wikipediaに関わる人たちも、よほどしっかりと心しなければならないことだと思うのです。あくまでも「対話」によって世界平和を目指すのであれば、小出版社でもクリアできる最小限の特筆性基準設定にとどめて、自由な言論の場を狭めないようにキープしていかなければなりません。私がこの節を設けた問題意識はこういうことですので、そのような広い観点も含めたルール検討ということでお願いします。--Ted&M会話2015年2月18日 (水) 16:06 (UTC)
  • コメント 記事そのものの特筆性は確かに読者が判断するべき事項になるかもしれませんが、では執筆する側が「じゃあ特筆性の基準は?どういうものを書けば特筆性って認められるの?」といった場合に、その基準を示しておかなければ一定の水準を満たす記事を作れないでしょう。Wikipedia:特筆性はどちらかといえば、特筆性が一般的に認められると考えられる事項とは?を指し示している方針文書です。「特筆性がない記事」とは「特筆できる事柄が、情報源から判断が付かないか、出典そのものが書いてない記事」のことをいっていると考えれば「出版した本が著名なら、出版社に特筆性がある」とするのが無理筋な話であることが見えてくると思います(そもそも書籍の評価は書き手=著者に頼る部分が大きいですから、講談社で出版しようがウィキペディアにはまだページのない出版社が出版してようが、書籍と著者の評価そのものがブレることはないでしょう)。大手出版社のほうが有利なのは当然といえば当然です。大手「出版社」ではなく、大手「商社」だってそうですよね。中小零細にも商社はありますが、大手商社と零細商社、どちらが「著名な事柄」や「第三者による評価」が多くなるでしょうか。商品についてクローズアップされた情報があれば商品の特筆性ですし、販売元や製造元がクローズアップされた情報があれば企業の特筆性になります。大手か零細かというのは特筆性そのものに介在しません。大手企業のページが多く存在するのは、企業としての情報が多く存在していてそれを容易に我々が入手できるからであって、別に零細や昨日発足したようなベンチャーでも周りを納得させるだけの企業としての第三者評価があれば、一つのページとして作成できる基準を書いたのが今の特筆性という文書です。情報入手と言う観点では有利不利はあるでしょうが大手だって最初から大手だったわけではありませんから、今の時点で零細企業に情報がないなら、その情報が出てくるまで待てばいいんです。もしかしたら私たちが生きている間には書けないかも知れませんが、それはそれでしょうがないことです。未来の人たちに期待しておけばいいんです。出版者だから特別ハードルを下げる必要性はまったくないでしょう。(ヒット作出版してるなら、多少なり別の出版社や新聞社が取り上げてそうなものですけどね)--アルトクール(/) 2015年2月18日 (水) 17:58 (UTC)
  • コメント 執筆しようとする人から問われた場合に目安を示すということはあって良いことですが、その目安が「立項規制」に変質してはまずいと思うのです。特に出版社など言論機関のことで言いますと、言論活動というものは地味なもので、基本的にはコツコツやっているものです。ヒット作とかそういうことで大きな話題になるとかならないとかいうことを立項基準にすれば小さな声などかき消されます。私は小さな声もなるべく拾うスタンスでの特筆性設定でなければ、Wikipediaは決して豊かなものにはならず、世界に対して前記したような危機さえ招きかねないと危惧するものです。小さな出版社は、商業的にヒットする見込みがなくても、その「志」に照らして有意義と思えば赤字でも出版します。そういう出版社はたくさんあります。金銭的な儲けなどは二の次で、食うや食わずで使命感をもって絶対にヒット作にはなり得ない本を作っている所も多いのです。Wikipediaでヒット作を求める価値観とは異なる価値観で生きているともいえます。私は執筆者の問いに答えるために親切で儲けられた「一般的な目安」が、いつか「立項制約基準」になり、少数者に多数者(一般的といわれる)の価値観を押しつけるものにならないことを願うのみです。--Ted&M会話2015年2月19日 (木) 04:58 (UTC)
コメント ここまで静観しておりましたが、利用者:Ted&M会話 / 投稿記録さんはいくつかの大きな思い違い(もしくは拡大解釈)をされているように思います。
まず、本節冒頭の 2015年1月25日 (日) 04:19 (UTC) のコメントにある「その出版物に特筆性があれば、それは出版社(発行者)の特筆性をも示すものと考えるべき」というご意見に対してですが、「出版物の特筆性」と「出版社(発行者)の特筆性」は決してイコールではないと考えます。なぜならば、同一の作品(出版物)であっても、出版形態が変わる度に出版社が変わるというのは往々にしてある話ですし(小説などに於いて、いわゆる「新書版」と「文庫版」の出版社が異なるのはよくあることです)、執筆者と出版社の軋轢などから、ある作品が絶版になった後、別の出版社から刊行されるというのも枚挙にいとまがありません。これらにおいて、作品の特筆性が出版社の特筆性を担保することにはなり得ないと考えます。
次に、2015年2月10日 (火) 12:22 (UTC) の「芸能プロダクションでも出版社でも一版の会社でも、その生み出したもので評価されるのが一番まっとうな評価法です」とのご意見。その出版物が当該出版社の主体的な編纂によるものであれば「その生み出したもので評価されるのが一番まっとうな評価法」という論は成り立つでしょうが、誰かの持ち込み作品を市場に流通させるだけだとしたらそれはそもそも「(出版社が)生み出したもの」ですらない(市場原理に則って、市場に流通させる手助けを行っただけ)ですので、当該出版社を評価するには値しないでしょう。その意味で、所属タレントを積極的に斡旋しブッキングを行うことを生業とする芸能プロダクションとは一線を画す存在だと考えます。
次に、2015年2月19日 (木) 04:58 (UTC) のコメントにある「出版社など言論機関」とのコメント。前段と多少重複しますが、出版社の業務自体はある意味印刷会社と変わらないものであり、言論機関などと上段に構えるほどの存在ではないと考えます。新聞社や政党団体系の出版社のように常日頃からオピニオンを発信し続けているのであれば別でしょうが。
最後になりますが、「執筆しようとする人から問われた場合に目安を示すということはあって良いことですが、その目安が「立項規制」に変質してはまずいと思うのです」とのご意見。私は、Wikipediaが「百科事典」を標榜する以上は、百科事典としての品質を担保するためにも、ある程度の立項規制は必要だと考えます(そのためのWikipedia:特筆性なのだと考えています)。そうでなければ、自信の身の回りにある、大半の人たちにとって「どうでもいいこと」(例えて言うならば、ほとんどの人は何も気に留めない、自分の家の近所にいつも出没する野良猫のこと、など)でも何でも記事に出来るという解釈が成り立つからであり、そのことはすなわち百科事典としての品質を貶める(真に知りたい事柄が大多数のゴミに埋もれてしまう)行為に他ならないと考えるからです。--Bsx会話2015年2月19日 (木) 12:39 (UTC)
コメント 真摯なコメントありがとうございます。Bskさんのようによく考えられたご意見を頂くと、すれちがっている点がはっきりしてきてありがたく思います。段落ごとに説明させていただきます。
  • 私は出版物の特筆性が出版社の特筆性と「イコール」と言っているのではありません。「無縁ではない」と言っているのです。「無縁ではない」と言っているのに「イコールではない」ということで反対される意見が多いようです。これが一番の「すれちがい」です。「無縁」でなければ一定の質・量をキープすれば特筆性を構築できるので、特筆性の要素として考えようと私は言っているわけです。
  • 同じ作品が版元を変えて出版されたりしているので特筆性は関係ない、というのも「イコールでない」ということを言っておられるのであって、「無縁ではない」ということを打ち消せるものではありません。ただ、もちろん初版発行会社のほうに特筆性が高いことはもちろんだと思います。しかし、長い間「幻の名著」とされていた絶版本を復刻出版するような場合は出版社の業績として特筆性が高くなるでしょう。
  • 次に、持ち込み原稿を本にするだけなら出版社の特筆性はない、とのご主張ですが、これも多くの方が錯覚しておられる大きな「すれちがい」ポイントです。原稿と出版物をイコールと考えるのは本を読む側としては自然な感想かもしれませんが、そこに「すれちがい」が生じています。原稿を評価し、手をかけお金をかけて人々がこれを読めるようにすることは原稿を書くのとは別の次元での評価の対象となるべき作業です。「出版社の業務と印刷会社の業務はある意味同じ」ではありませんし、「市場原理に則って流通を手伝っただけ」というのもあまりに乱暴な決め付けです。市場原理に逆らって多くの良書が市場には出ていますし、またそれが出版社に期待されることでもあります。
  • 「百科事典としての品質を担保するためにある程度の立項規制は必要」というのは真剣なご主張としてありがたく存じます。ここでは「特筆性を判断するのは読者であってWikipediaの管理者ではない」という根本の話は持ち出しません。ある程度の立項規制は必要だとする場合、その「ある程度」が問題ですが、いつの間にか「特筆性のある出版物を出している出版社」が「近所に出没する野良猫」と同列にみなされています。「真に知りたい事柄が大多数のゴミに埋もれてしまう」とのことで、「ゴミ」ともみなされているようです。ゴミであるかないかを分けるのがWikipediaの立項規制基準である「特筆性」ということを言われているのだと思いますが、おっしゃるように「ある程度の立項規制が必要」としても、私は「特筆性のある出版物を出している出版社の記事」を少なくとも「ゴミ」とは思えませんから、ゴミでないものとして扱える「程度」の基準にしましょうと提案しているのです。
  • Bskさんのおかげで「すれちがい」ポイントがかなりはっきりしました。私はしゃべりすぎだということで注意も受けていますが、「すれちがい」がもどかしくてあれこれ言っていたのであり、多弁が本意ではありません。しばらくは投稿を控えたく思いますが、閲覧は続けますので、ご批判もご賛同もいろいろ頂ければありがたく存じます。--Ted&M会話2015年2月19日 (木) 17:26 (UTC)
コメント 利用者:Ted&M会話 / 投稿記録さんのお返事(反論)を拝見しましたが、私の指摘の骨格部分の一部にはお答え頂けていない、あるいは拡大解釈を続けておられるように見えます。
出版物の特筆性出版社の特筆性が「無縁ではない」のは確かでしょう。が、出版物の特筆性をもって即ち出版社の特筆性の論拠としようとするのは、やはり拡大解釈といわざるを得ないのではないでしょうか。重要なのは「その出版物に、出版社がどのように関与したか」であり、そのことが検証出来ない限りは出版物の特筆性が出版社の特筆性を担保することにはつながらないと考えます。出版物の特筆性をもって出版社の特筆性の論拠としようとするのであれば、例えば(多くの漫画雑誌、特に少年漫画誌のように)創作された内容そのものに出版社の人間が深く関与していることが明らかで、かつその創作物に特筆性がある場合、もしくは出版物の刊行状況・流通状況そのものに特筆性がある場合(定期刊行物が全国に流通しており、広く認知されている、など)などに限られると考えます。
今回の議論の発端となった牧歌舎ノート / 履歴 / ログ / リンク元の記事を拝見すると、当該出版社は「自費出版の編集プロダクション業務も行う」「社史(会社史)をはじめとする団体史や各種記念誌の制作を行っている」とありますが、前者は私が先に申し上げた「市場原理に則って、市場に流通させる手助けを行った」行為に他ならず、後者はその内容に於いて創作性を担保するのはかなり難しい(というよりも、そもそも団体史・社史に特筆性を見いだすこと自体が難しい)と考え、故に出版社の特筆性を担保する事柄に大きくつながらないと考えます。敢えて申し上げるならば、特筆性のある自費出版物が多数あり、そのことによって出版社の関与に関する外部からの言及が見いだせる状況にあれば…とは思いますが、残念ながら現状ではそこまで行き着いていないようにも思います。--Bsx会話) 2015年2月19日 (木) 22:54 (UTC)一部修正--Bsx会話2015年2月20日 (金) 10:24 (UTC)
コメント 追記 利用者:Ted&M会話 / 投稿記録さんのお返事の後段で「いつの間にか「特筆性のある出版物を出している出版社」が「近所に出没する野良猫」と同列にみなされています」「「ゴミ」ともみなされているようです」との仰せがありましたが、百科事典としての品質に全く寄与しない、特筆性も持たない事象を野良猫やゴミに例えたのであり、出版社一般を野良猫やゴミに例えたつもりもありません(そのように受け止められたのであれば率直にお詫びいたします)。ただ、細々と(だろうと思います、現状の資料を見る限りでは)自費出版の補助を行ったり、企業等の社史・団体史・広報誌等の出版を手がけている会社が単独で特筆性を持ちうるかと言えば、残念ながらそうではないといわざるを得ず、街の印刷会社と大差ないと言えるでしょう。「市場原理に逆らって多くの良書」を市場に送り出し、そのことが評価されているのであれば本来単独記事になり得るとは思いますが、例えば童謡詩人金子みすゞの再発見に大きく寄与したと言われるJULA出版局はまだ単独記事になっていません(有意な出典がないので、私も「書きようがない」というのが正直なところなのですが)。--Bsx会話2015年2月20日 (金) 10:24 (UTC)
コメント JULA出版局は常識的に見て立項されて問題ないと思います。少数とはいえ新聞等で出版物への書評やニュースもあります。常識を重んじ、小出版社ではあってもこの程度の出典(脚注含む)があれば、これを「ゴミ」とする立項規制がかからないようにルールを整えることを、ここで具体的に検討していただきたいのです。--Ted&M会話2015年2月22日 (日) 18:06 (UTC)
コメント 私の見解を端的に申し上げるならば、「例え出版社といえども、組織(法人または企業)であることに変わりはなく、その特筆性の判別に於いて出版社であることを殊更斟酌する必要はない」ということになろうかと思います。
もう少し具体的に申し上げるならば、(前回のコメントの繰り返しの要素を含みますが)その出版社が特筆性を有するか否かは、その出版社の“役割”によるところが大きく、(特筆性を持つ)出版物の創作性にその出版社が深く関与したことが明らかでなければ、出版物の特筆性が即ち出版社の特筆性を補強する材料につながらない、ということです。このことは、「Wikipedia:独立記事作成の目安」にある記述でほぼ網羅されていようかと考えることです。--Bsx会話2015年2月24日 (火) 14:40 (UTC)
コメント「言論の自由」がしばしば大きなテーマとなるように、言論活動は人類の運命を決する思潮の方向付けに直接影響するものであり、これが他の産業にない特質といえます。どの産業であれ、Wikipediaではその特質をデリケートに勘案した取り扱いが行われている、または行われるべきなわけですから、出版業は出版業なりの特質を勘案した編集が行われるべきであり、「ことさら斟酌する必要がない」というよりも、他の産業がその産業なりの「斟酌」をされるべきであるように、出版業も出版業なりの「斟酌」をされるのが正しいことだと思います。それゆえ「出版社の特筆性」を論じているというのがこの場の前提です。ところで、出版社が出版物の「創作性」に関与する場合も多々あるとはいえ、第一義的には出版物の創作性の部分は著者の仕事であり、出版社は文字どおり「出版」が仕事なわけですから、その「出版」という部分での特筆性が検討されなければなりません。つまりは「良い本を出版する」ことのみによって出版社の特筆性は認められるべきなのです。一方で、「信頼すべき情報源からその出版社自体が有意な言及を受けていればその出版社は特筆性があるとみなされる」ということについては問題がないでしょうから、例えば大手新聞で「○○出版社は良い本を出している」と論評されるというようなのが理想的な「信頼すべき情報源からの有意な言及」ということになるでしょう。このように筋道をたどって考えれば、「書評はその本の特筆性を担保すると同時に、出版社の特筆性も相当程度担保する」ということがお分かりいただけるのではないでしょうか。著作物の創作性においてでなく、純粋に「本にして世に出す」行為においての特筆性は何かということが論じられなければならないのですが、こうした本質論がまだなかなか出て来ていないようです。これでは出版業自体がもともと特筆性のない事業になってしまいそうです。--Ted&M会話2015年3月8日 (日) 16:11 (UTC)
コメント 私はながらく出版業に関わってきましたし、現在進行形で関わっていますが、出版業であることでWikipediaにおける特別な特筆性が認められるとは到底思いません。純粋に「本にして世に出す」行為においての特筆性は何かといわれれば、Wikipediaにおいては「信頼性のある媒体からの有意な言及」以外にありません。その上で、出版物への評価が出版社の特筆性を担保するかと言われれば、私個人はそれに同意する点は大きいですが、「牧歌舎」に関してはまだ不十分とコミュニティが判断したということでしょう。あと、「良い本を出版する」ことのみによって出版社の特筆性は認められるべき、というのは明確に反対します。書籍出版以外の活動を展開する「出版社」も存在するからです。--アイザール会話2015年3月9日 (月) 04:45 (UTC)
コメント コメントありがとうございます。ここでは出版社一般の特筆性をテーマにしておりますので私が書き込みを行った一出版社記事への言及はご無用に願います。以下、記します。
  • 出版業だからといって特別扱いされる必要はもちろんないと思います。ただ、世の中には多くの産業(事業)が存在し、それぞれの産業(事業)としての個性や特質、社会的影響をもつわけですから、産業(事業)別にWikipediaコミュニティーとしての注目点や評価ポイントが異なることはあってよいものと思います。
  • 純粋に「本にして世に出す」行為においての特筆性をWikipediaにおいては「信頼性のある媒体からの有意な言及」とされることに異存はありません。しかし、後段で言われる「出版以外の活動を展開する出版社」がその活動に対して「信頼性のある媒体からの有意な言及」を受けたとしても、それは純粋に「本にして世に出す」行為においての特筆性を示したものとはいえません。純粋に「本にして世に出す」行為においての特筆性を示す「信頼性のある媒体からの有意な言及」といえば、新聞社の書評や本についての記事が適当なのではないですか、とここでは提案しているわけです。
  • 「良い本を出版することのみによって出版社の特筆性は認められるべき」というのは「良い本を出版することのみによって出版社の『純粋に<本にして世に出す>行為においての特筆性』は認められるべき」と言い直します。アイザールさんに対しては言わずもがなのことだとは思いますが。出版以外の活動で特筆性のある出版社がWikipediaの記事になり得るなら、出版(純粋に「本にして出す」)活動で特筆性のある出版社はなおさらWikipediaの記事になり得るのでは、というのが、ここ何週間もWikipediaコミュニティーの皆さんに問いかけていることなのです。よろしくお願いします。--Ted&M会話2015年3月9日 (月) 06:32 (UTC)
コメント そこなんですよねえ。私は、その出版物の発行した書籍の特筆性により、出版社自体の特筆性も担保されるというケースはあると思います。例えば静山社なんてそうですよね。さすがに、有名なのはハリーポッターだけで版元には特筆性はない、なんて考える人いないと思います。で、ですね、結局はケースバイケースなんですよ。「出版社一般の特筆性」と仰いますが、それに関してぎちぎちの基準を定めてしまう、ということは柔軟であるべきWikipediaという空間には適さないんじゃないかと思います。その発行書籍の「反響がずば抜けてて、今まで版元としては無名だったけど、版元の記事があってもいいかな」という加減もあるし、「反響がぼちぼちで、まあ、著者の特筆性ならば担保できるけれど、版元のになるとちょっとなあ。。。。。」みたいなさじ加減ですかね(今回の発端になった版元はこちらでしょう)、そういったあいまいなところを見極めることが、結局は判断基準になるのだと思います。ですからコミュニティの中で判断は分かれますし、どうしても誰かが不満を抱いたまま決着はつけられてしまいます。すくなくとも、「書評が掲載された」だけでは出版社の特筆性にフィードバックされない(逆に言えば、単なる書評を越えた反響があれば版元の記事が成り立つ余地がある)という判断が大勢のようですから、これ以上、Ted&Mさんが同じことを繰り返されても話は進まないでしょう。--アイザール会話2015年3月9日 (月) 09:07 (UTC)
  • ある出版社は特別に有名な本を出しているからそれ以外は無条件で立頁OK、ということであれば、ケースバイケースと言いながらその実は有名か無名かだけで判断することになり、それだけでは百科事典としていかにも無定見な基準と言わざるを得ません。ボランティアからの投稿を募ることで成立しているWikipediaとしてはできるだけ明らかな客観的かつ定性的な基準を投稿者に示すのは義務であり、そのためにWikipedia:独立記事作成の目安があると理解しております。「出版社一般の出版活動<純粋に原稿を本にして世に出す行為>においての特筆性」の基準がまずは示される必要があり、例えば「特筆性のある本を出版していること」という基準があって、そこから初めて「この本は特筆性が十分か不十分か」と「ケースバイケース」の検討がなされ、「ハリーポッターは特筆性を十分に満たしているから静山社の立頁はOK」というような判断になるべきだと思います。「出版活動における特筆性」についての基本基準を設けず、とりあえず出版社あるいは出版物が有名かどうか、ベストセラーが出ているかどうかだけで決めていくのでは百科事典作りの素人による「百科事典らしさ」の追求になり、極めて危険でもあります。現状ではWikipedia:独立記事作成の目安には「出版社一般の出版活動<純粋に原稿を本にして世に出す行為>においての特筆性の基準」が示されず「組織の一般的な特筆性基準」(新聞などから組織について有意の言及があればいい)だけが示されているためにこのようなことになるのですから、「百科事典らしい」「出版社の本業においての特筆性基準」(有名無名ということに拘束されない)が整備される必要があると思います。--Ted&M会話2015年3月9日 (月) 14:00 (UTC)
(付記)私としてはここで大事な提案をしているつもりですので、結論を急ぐことなく、十分に討議していただきたく思っております。これまではある小出版社のページでいろいろ意見を述べさせていただいておりましたが、宣伝目的での主張とみなされることが多く議論が深まらず不本意でした。現在そのページは削除されていますので、ここで無用な誤解を受けることなく意見を述べ、また別の角度からのご意見を頂いて勉強することができます。ありがたく存じております。--Ted&M会話2015年3月9日 (月) 14:48 (UTC)

コメント(インデント戻します)世の中には文学作品を筆頭に、作品単独で特筆性がありウィキペディアへの単独立項が可能と認められる作品が多々ありますが、その中には著作権保護期間満了などの理由により、どこに許諾を得ることもなく自由に出版が可能なものもたくさんあります。「書評が掲載された出版物を発行した出版社はそれだけで単独立項に足る」とする基準を作れば、「著作権切れの過去の名作を刊行しておけばWikipediaで単独立項可能」と宣言するに等しいのですが、Ted&Mさんはそのような基準での立項は希望されているのでしょうか。--VZP10224会話2015年3月9日 (月) 14:59 (UTC)

  • 常識的には、他社が初版を出したものの再版物は除かれるべきでしょう。ただ、現存しない出版社から発行され、現在では入手困難になっている「幻の名著」を再版とか復刻する場合は「出版活動(本にして世に出す行為)においての特筆性」として考慮の対象となっていいかもしれません。いずれにしても、そういう基準としての整備は必要と思います。--Ted&M会話2015年3月10日 (火) 18:29 (UTC)
コメント3月9日06:32 (UTC)時点での発言では「良い本を出版することのみによって出版社の『純粋に<本にして世に出す>行為においての特筆性』は認められるべき」との主張でしたが、上記の発言では「良い本を出版することのみによって出版社の『純粋に<本にして世に出す>行為においての特筆性』は認められるべき」(ただし再販ものは除く)に軌道修正されたようで、ひとまず安心しております。こうした点から合意点を探っていければと思います。
いっぽうで、3月9日14:00 (UTC)時点の発言では「ある出版社は特別に有名な本を出しているからそれ以外は無条件で立頁OK、ということであれば、ケースバイケースと言いながらその実は有名か無名かだけで判断することになり、それだけでは百科事典としていかにも無定見な基準と言わざるを得ません。」とも言われており、ベストセラーを出した出版社でも特筆性がなく立項が認められないケースはありうるとの主張にも読めるのですが、そのような解釈でよいのでしょうか。出版社に限らず、業績が好調な会社はその会社の事業そのものに焦点を当てた言及が多く存在することはあり得る話だと思います。Ted&Mさんは「無名な出版社」を救い上げることにこだわるあまり、「有名な出版社」の特筆性を否定されているのではないかと危惧しております。
別の立場からしますと、内容に秀でた出版物があり、その点を評価する書評などの文献が存在したとしても、それら内容の評価はすべて著者の著述の結果による、とするのがウィキペディアのコミュニティの中での見解だと理解しております。逆に言うと、出版社が「編集」の域を超えて内容その他に手を加えていたとしても、出版社の担当者が手を加えたことを証明する文献がない限り、出版物の内容の巧拙がそのまま出版社の評価となるわけではない、とウィキペディアのコミュニティでは判断されているのだと考えます。出版業界では佐村河内守よりもっとたちの悪いゴーストライター行為が横行しているのかもしれませんが、もしそうであったとしても、そのことを証明する文献がない限りは出版物はその著者として掲げられた人物の著作によるものとするほかはないでしょう。--VZP10224会話2015年3月11日 (水) 15:24 (UTC)
  • 恣意的なものではないと思いますが、失礼ながらVZP10224さんには非常に誤読が多いと思います。別の項でされた脚注書き換えというあなたの行為も疑問を呈しましたが、まだその意味すら理解いただけていないようですし。それはそれとして、私は追加説明をしただけでここではまだ何も軌道修正はしておりませんし、これで何か「合意点を探れた」わけでもありません。また「ベストセラーを出した出版社でも特筆性がなく立項が認められないケースはありうるとの主張にも読める」というのは、どういう読み方をされてそうなったのでしょうか。まずそれを説明してください。後段への説明の糸口にもなるかと思います。--Ted&M会話2015年3月13日 (金) 21:54 (UTC)
Ted&Mさんが無期限ブロックとなってしまった現時点では、あまり返答を記載しても意味がないかもしれませんが、「出版社の本業においての特筆性基準」(有名無名ということに拘束されない)を「できるだけ明らかな客観的かつ定性的な基準」として定めようという主張を読み、であれば、「ベストセラーを出した出版社でも特筆性がなく立項が認められないケース」とは何か、その仮定が成り立つのはどのような場合なのかが単純に知りたかっただけです。誤読も何も、Ted&Mさんの主張を読み込んでいく過程で想定されうる仮定が成立するのはどのような場合なのか確認することを「誤読」と言われて切り捨てられてしまっては、お互いの認識のギャップを埋めることは不可能に近いと思います。--VZP10224会話2015年3月19日 (木) 18:17 (UTC)

一地方の組織について

「非営利組織」について「活動範囲が一地方に限られている組織は、検証可能な信頼できる独立した情報源がある場合を除いて、特筆性がないのが一般です。」([4])とあります。そこで、例えば「Category:東京都の警察署」を見るとほとんど警察署の記事ですが、107ページあります。こういった記事に特筆性があるのでしょうか。特筆性を証明するための、単なる目録・名簿ではなく、各警察署を紹介する記事が掲載された、二次情報源としての「全国警察署案内」などという本があるのでしょうか。もしそういった典拠となる出典がなく、不祥事などもない警察署については特筆性がないと考えて統合するか一覧記事にすべきでしょうか。あるいは現在提案中であるこの「Wikipedia:特筆性 (組織)」の方を変えるべきでしょうか。--Yamanosora会話2015年2月6日 (金) 05:34 (UTC)

Yamanosoraさんのご意見はごもっともです。私は「Wikipedia:特筆性 (組織)」の方を変えるべきと思います。元来どのページでもそこに「特筆性」がある人が見るのだから、記事の内容が検証可能性さえ満たしていれば「主題の特筆性」など要求する必要はないものと思います。--Ted&M会話2015年2月9日 (月) 20:06 (UTC)
  • コメント 現状では特筆性の面では問題がある記事が大部分を占めていると判断します。NDLサーチを使用すれば一次資料ですが警察署史は数多く見つかりますが大抵一次資料です。ただ出先機関についてはプロジェクト:日本の行政機関にて基準を定めた経緯があるようです、他多数の公的機関記事にも関わる問いですのでそちらでコメント依頼も絡めて質問した方が意見も集まりやすいのではないでしょうか。--202.224.70.59 2015年2月10日 (火) 01:58 (UTC)
「コメントのお願い」をしました([5])。--Yamanosora会話2015年2月10日 (火) 02:12 (UTC)
議論活性化のため、コメント依頼もかけておきました。--202.224.70.59 2015年2月10日 (火) 04:43 (UTC)
コメント プロジェクト:日本の行政機関へのご案内から参りました。
このプロジェクトでの議論の先行議論として、ノート:地方支分部局#個別記事の作成基準についてというものがあり、その中で(ざっくり言ってしまえば)「とりあえず定義だけ書いて記事を作成してしまえ」的なスタンスで国の出先機関の記事が濫造されたという経緯があり、そういった動きに何らかの歯止めをかけるべく基準を定めた、という流れがあります。
で、今回の利用者:Yamanosora会話 / 投稿記録さんの御提案の骨子がどこにあるのか真意が計りかねるところではありますが、結論から言えば「Wikipedia:特筆性 (組織)」の記述を敢えて変える必要はない、と考えています。ここに書かれている事柄はあくまでも“一般論”であり、そうでない事例に一律に箍をはめているわけではないからです。
付け加えて申し上げれば、利用者:Ted&M会話 / 投稿記録さんの「記事の内容が検証可能性さえ満たしていれば「主題の特筆性」など要求する必要はない」との論調はかなり乱暴なご意見だと受け止めており、Wikipedia:独立記事作成の目安の冒頭にある「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です」との見解を真っ向から否定するものだととらえられても仕方のないご意見だと感じています。--Bsx会話2015年2月10日 (火) 14:43 (UTC)
コメント Yamanosora氏の疑問は(少なくとも)私には当然のように思えます。例えば、Category:韓国の消防機関なんて、カテゴリごと不要ですし、どうしてもと言うのであれば一覧記事をひとつ置いておけば十分ではないか?と思います(特筆性のある書は例外)。これは現状でもケースEだと思います。--124.108.255.67 2015年2月11日 (水) 00:18 (UTC)
コメント 少なくとも「組織」とはいえ警察署消防署とかでは個々での事情が異なるので、一括りにすべきではないと思います。警察署に関して言えば、不祥事を起こしたり大きな事件があったりした時は特筆性が認められて独立した記事にしてもよいというような判断はいささか曖昧で主観的な要素が含まれているような気がします。例えばある事件が「大きな事件」かどうか判断するのは客観的な要素よりも、執筆者の主観に委ねられるところがありますからね。一つ言えるのは警察署に関して言えばどの警察署が作られてよく、どの警察署が作っちゃダメなのかのガイドラインは私の知る範囲では現状ではないと思います。今までの議論はここのページ(Wikipedia:特筆性 (組織))とプロジェクト:日本の行政機関が拠り所になっているようですが、少なくともここらのページでは警察署や消防署といったケースにまでは詳しく言及されていません。しかも、プロジェクト:日本の行政機関は「日本の」と銘打ってありますから、例えばCategory:韓国の警察署などの日本国外の警察署には適用外になってしまいます。警察署で考えるなら郵便局におけるプロジェクト:日本郵政グループのように新規のプロジェクトを立ち上げるか、そこまでしなくても警察署のノートページなどで個別の記事作成のガイドラインの提案して議論してみるというのがいいと思います。Wikipedia:特筆性 (組織)で警察署や消防署の議論は抽象的すぎるというか、括りが大きすぎるような気がします。Wikipedia:特筆性 (組織)の方針に準拠しつつ、警察署なり消防署なりノートページで提案してガイドラインを個別に作って対応したらいいと思います。--Kentin会話2015年2月11日 (水) 14:18 (UTC)

以上のコメントの整理。(ご自身のコメントについては自由に直してください。)--Yamanosora会話2015年2月16日 (月) 03:06 (UTC)

1. 「活動範囲が一地方に限られている組織」の一般的な特筆性。

2. その二次情報源について。

  • 「警察署史は数多く見つかりますが大抵一次資料」(202.224.70.59さん)

3. 不祥事などと特筆性の関係。

  • 「曖昧で主観的な要素が含まれ」る。(Kentinさん)

4. 一般的に統合や一覧記事にすべきか、あるいは「Wikipedia:特筆性 (組織)」を変えるべきか。

  • 「「Wikipedia:特筆性 (組織)」の方を変えるべき」(Ted&Mさん)
  • 「「Wikipedia:特筆性 (組織)」の記述を敢えて変える必要はない」「あくまでも“一般論”」(Bsxさん)
  • 「個別の記事作成のガイドラインの提案して議論してみるというのがいい」(Kentinさん)
コメントYamanosoraさんお疲れ様です。よくまとまっていると思いますよ。ただあの後思ったことがあるので、追加させていただきます。話がややこしくなるので警察署に特化して話を進めますが、現状では警察署などに関してはほとんど言及されていないWikipedia:特筆性 (組織)プロジェクト:日本の行政機関をかなり「拡大解釈」して議論が進められているものと感じています。少なくとも警察署は日本国外のもありますから日本国オンリーの指針であるプロジェクト:日本の行政機関での議論は参考にはなりますが、このプロジェクトのみで意思決定がなされるものではないでしょう。
私が思うに警察署だの消防署だの税務署だのの公的機関を一括りに「非営利組織」として片付けようとしてしまうのがこの話がこじれる原因の一つだとも感じています。おそらくYamanosoraさんはそうした「総論」としてここで取り扱いたいと思ったようですが、それでは具体性がかけてしまうような気がしてならないのです。これらの公的機関である「非営利組織」は具体的には個々に様々なケースや事情がありますからね。Yamanosoraさんを非難しているわけではなく、単純に疑問に思ったので書かせていただきますが最初にこの議題見た時、「なんでYamanosoraさんは、この疑問を警察署のノートかなんかで最初に持ちかけなかったのだろう?」と思いました。警察署のノートなんかで個別にやったほうのが警察署に話題は特化できますしより具体的な議論ができるのではないか?と思ったのです。そうした警察署などのノートページの議論によってはWikipedia:特筆性 (組織)プロジェクト:日本の行政機関なんかにも言及されるだろうし、場合よってはこれらの改訂なんて事もあるかもしれませんが、おそらくそれには警察署の議論の判断のみで決めることは出来ず、消防署などの個々の事情も勘案されるべきものと思います。なかなか一筋縄ではいかない問題かもしれません。ちなみに非営利組織の一種とみてよいであろう郵便局や学校なんかは独自にプロジェクト立ち上げて記事作成のガイドライン作って記事作成やられています。余談ですが、学校に関しては一地方のあまり著名ではないと私個人は思う日本の公立小学校なんかの記事もたくさんあります。私は詳細な経緯はしりませんがプロジェクトで決められたことなのでしょうし、私個人はこういう記事もあっていいとは思っています。
いずれにせよ、本件は警察署の独自のプロジェクト立ち上げるべきか、警察署のノートで提起するなどしてガイドラインの作成をしたほうがいいと思うのです。--Kentin会話2015年2月16日 (月) 14:18 (UTC)
「なんでYamanosoraさんは、この疑問を警察署のノートかなんかで最初に持ちかけなかったのだろう?」にお答えします。ご承知のように2015年1月18日に「Wikipedia:独立記事作成の目安」がガイドライン化されました([6])。「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されます」。わたしも基本的には従おうと思います。そこで現在提案中であるこの「Wikipedia:特筆性 (組織)」に目をむけますと、数多くのページの存否にかかわる問題が気になり始めました。現在の提案文書では「活動範囲が一地方に限られている組織は、検証可能な信頼できる独立した情報源がある場合を除いて、特筆性がないのが一般です。」「母体となる組織が特筆に値する場合であっても、その個々の支部に独立した記事にするほどの特筆性はないのが普通でしょう。」と言っています。「特筆性がないのが一般」「特筆性はないのが普通」ならば、何千ページもある一地方の組織の記事をどうするのでしょうという疑問です。一案としては、特筆性の証明を例えば努力目標のように解釈し、少なくとも「特筆性がないのが一般」「特筆性はないのが普通」という否定的表現は提案文から除去してしまうのが実際的で無難、すなわち統合などを前提にしなくてもすみ、安心して(?)一次資料に頼った加筆なども出来るかとは思いますが、この度ガイドライン化された「Wikipedia:独立記事作成の目安」との齟齬の存否が気になります。現にある、かなり強制力のあるガイドラインあるいはその提案ですから気になったのであって、個々のプロジェクトや記事のノートから新たにガイドラインを目指すことには思いが至りませんでした。発議の時点では意識していなかったのですが、過去に所属していた「プロジェクト:芸能人」であったこと([7])が意識下にあり、プロジェクトの存在を無意識に軽視していたかもしれません。各プロジェクトや関係ノートページでそれぞれ議論されるのは歓迎すべきことと思いますが、わたし自身が「別のページのノートにまで同じ話題を持ち出し、議論を拡散させる。」(WP:POINT)ととられる行動はつつしみたいと思います。--Yamanosora会話2015年2月17日 (火) 01:37 (UTC)
丁寧な回答ありがとうございます。なるほど今回の発議はWikipedia:独立記事作成の目安Wikipedia:特筆性 (組織)との兼ね合いからだったのですね。私はYamanosoraさんが滝野川警察署などに特筆性のタグ貼られておられたり、最初にCategory:東京都の警察署の各警察署に特筆性はあるかと問いかけられていたので、もっと単純に警察署なんかの個別の公的機関の特筆性を問うているのかと思いました。なので私は警察署なら警察署で個別にガイドライン作って対応すべきではないかと思ってコメントした次第です。しかし、Yamanosoraさんが議論したかったのはWikipedia:独立記事作成の目安からくるWikipedia:特筆性 (組織)の文章の言い回し部分などのもっと根本的な問題だったようですね。警察署の事例はその一例ということなのでしょう。そういう話なら私が考えている話と方向性がやや異なるかもしれません。ただいずれにしても、Wikipedia:独立記事作成の目安とWikipedia:特筆性 (組織)だけでは警察署などの個々の事例で考えるとやはり現状では拡大解釈の域はでないと思います。Wikipedia:独立記事作成の目安がガイドライン化してもやはり個々の警察署とかの記事が削除とか統合なんて話になった時に備えて、いずれどこかでこの点を個別に議論しないといけないものだとは思ってます。
私はYamanosoraさんが警察署なんかの特筆性に具体的な疑問を持っておられたように思えたので、個々のガイドラインの提案お勧めしましたが、現時点では私としてはとりたてて必要ないようにも思います。しかも私自身は警察などの専門的な事に関してはほとんど知らないので、客観的な立場でこれらの専門的なガイドライン作成の提議をするようなお手伝いはできないのが現状です。無論、私からYamanosoraさんにもこれらを強制するつもりも毛頭ありません。他力本願ですが、現時点ではなく、いずれ必要になった時点でどなたが提議すればそれで十分だと私としては思っています。私としてのコメントは以上で、あとはここの議論を見守りたいと思います。ありがとうございました。--Kentin会話2015年2月17日 (火) 13:26 (UTC)
お返事が遅くなりました。利用者:Yamanosora会話 / 投稿記録さんの御提案(というか疑念)の骨子はだいたい把握しました。
で、まず個別の話になりますが、具体的に警察署・消防署などの記事の立項基準については、実はほとんど“触れられていない”のが実情だったりします(参考過去ログ)。その一方で、大きな指針として「都道府県単位の支分部局・事務所については、原則として独立した記事を作成しない」というのもありますから、実情としてはせいぜい都道府県警察本部レベルまでかな、というのが私としての印象です。
その上で、「Wikipedia:特筆性 (組織)」の記述を敢えて変える必要はない、という結論については私としては不変であり、「一般的に統合や一覧記事にすべき」事案だろうと考えます。その際に、例えばプロジェクト文書などと衝突が生じる場合には個別に解決の道筋を立てればよいと思いますし、少なくとも「Wikipedia:特筆性 (組織)」はWikipediaにおける“一般論”としての位置づけを確保すべきと考えます。--Bsx会話2015年2月20日 (金) 10:35 (UTC)
コメント いわば「便覧」のようにあれば便利と思う人もあるだろうから各警察署の記事もあっていいと思いますが、Wikipediaではそういう便覧みたいなものは百科事典的でないとされています。それはそれとして、何よりも、書かれていることの「検証可能性」を示す出典がないのは大きな問題です。どこどこに交番がある、と記述されていたのを頼りに、暴漢に襲われた人が逃げ込もうとして、そこに交番がなかったりしたら、Wikipediaの責任はどうなるのですか。検証可能性を担保する出典は絶対に必要と思います。一次情報がそうなっていたから、では通らないから二次情報も必要とされるのは他の記事と同じで、殊に警察署や消防署の記事が例外とされては社会生活上大変なことです。そのような出典を示されない警察署や消防署の記事などは「百科事典らしくない」以前の問題として、あってはならないものと考えます。--Ted&M会話2015年2月22日 (日) 20:08 (UTC)
百科事典を見て交番を探す方に対しては、用途に応じて調べる対象を変えて頂く事を教えて差し上げるのが適切です。全てにおいて責任と信用には大きな違いがありますので、それを履き違えない事が大事でしょう。--106.175.178.42 2015年3月10日 (火) 04:07 (UTC)
「検証可能性」はそのような言い方でないがしろにされるべきではありません。責任を果たせないものに信用は与えられませんから、警察署や消防署の記事がその程度のものであるとしたら、掲載すべきでないということになります。--Ted&M会話2015年3月13日 (金) 21:15 (UTC)