Shogoro
Shogoro[注 1](しょうごろう、1966年6月14日 - )は、日本の陶芸家・芸術家。本名は野村 庄五郎(のむら しょうごろう)。 世界的に評価されている作家で、イタリアのフィレンツェを中心に多数の個展を開催する。2001年4月にイタリアのフォンターナ・リーリ市の彫刻の森美術館に48作品を収蔵し、パパ・デッラ・ジョルダーノ賞を授与。フロジノーネ県からは名誉賞を受賞した[1]。また、2012年にはルーマニアでミハイ・エミネスク国際アカデミー造形芸術賞を受賞している[2]。 イタリアの陶芸アートグループとの交流があり、合同展やアートイベントを日本とイタリアの各地で継続的に展開。2019年5月にボローニャのユネスコより、日本とイタリアの文化交流、協力に対する功績が認められ感謝状が贈られた[3]。 大阪市天満に所在する陶芸教室 五郎窯(ごろうがま)を主宰。 人物1966年大阪市東区豊後町に生まれる。12歳で出家して仏門の道に入る。仏門の壮麗なイメージと大僧正の人柄に惹かれて選んだ道だったと雑誌『大阪人』のインタビューで語っている。仏道修行に勤めるうえで、茶道や花道といった礼儀作法を身に着け、日本文化・伝統の美に深く触れる環境の中で幼い頃を過ごしている。しかし18歳の時に、師と仰いでいた大僧正が逝き、還俗する。 その後、ある器に出会ったことがきっかけで陶芸の道を志すが、料理店を営む父に請われてイタリア・フィレンツェに新規出店する日本料理店を任されることとなる。1985年、19歳の時にイタリアのフィレンツェに移住。22歳までの3年間、任された料理店を経営する傍ら、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロといった15世紀の偉大な芸術家たちが活躍した、文化革命ルネサンスの都市フィレンツェで、今なお街に暮らす人々がその功績を称え、自国の文化に対し高い誇りをもっていることに感銘を受ける[4]。 1988年に帰国。25歳の時に陶芸家の元へ弟子入りして作陶を始める。1993年10月にフィレンツェ・ジャパンフェスタに正式出品。翌年の1994年から2002年の10年間に渡り、オファーを受けて毎年1か月間、イタリアで個展を開催するようになった。2001年4月にフォンターナ・リーリ市にて個展を開催、彫刻の森美術館に48作品が収蔵され、パパ・デッラ・ジョルダーノ賞を授与。フロジノーネ県からは名誉賞を受賞している。同展覧会は2002年1月にローマでも催された[1]。 2005年9月、イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの生地レカナーティにて、詩と器の企画展『ジャコモ・レオパルディに捧ぐ』を開催し、出品作品とジャコモ・レオパルディへの返詩16編が ジャコモ・レオパルディ記念館に収蔵された。レカナーティ市とジャコモ・レオパルディ国際詩文化協会より表彰を受ける。 2012年6月、ミハイ・エミネスク国際アカデミーより「ミハイ・エミネスク」アカデミー造形芸術賞を受賞。受賞イベントでは、作品を用いたお茶のセレモニーが披露された。[2] Shogoroは、自身の作家活動だけではなく、新人作家の育成にも努めている。 1994年、28歳の時に生地大阪で陶芸教室 五郎窯(ごろうがま)を開き、数多くの門下生の個展やアートイベントのプロデュースなども行っている。陶芸教室 五郎窯には、ギャラリーが併設されており、門下生の晴れの舞台となっている。 Shogoroは楽茶碗を専門とする作家であるが、彼の作品を使ってもてなす大茶会が、五郎窯の門下生と共に催されている。2001年に京都市の駒井家住宅にて『百人茶会』、2002年に吹田市の旧西尾家住宅にて『三百人茶寄り合い』、2004年にはサントリーミュージアム天保山 カフェ ソラーレにて『七百人茶寄り合い』が催された。『三百人茶寄り合い』は陶芸専門誌『陶遊』31号で特集されており、門下生の作品も、おもてなしの折々のシーンで用いられ、それぞれの活躍がうかがえる[5]。 茶会でも用いられた彼の代表作『今古美楽茶盌(いまふるびらくぢゃわん)』は、『陶遊』4号から42号に渡り36回連載されている[6]。同雑誌73号では、楽茶碗の特集が組まれ彼の轆轤技術に迫るべくコマ送りの写真を使って、制作の手順が詳細に紹介されている[7]。 2011年11月には、かつて自身が個展を催していたイタリア・フィレンツェのギャラリーメンターナにて、五郎窯一門による海外初の展覧会『La prima mostra della famiglia SHOGORO(ラ・プリマ・デッラ・ファミッリャ・ショウゴロウ)』の開催を実現させ、地元トスカーナTVの取材を受けた[8][9]。翌年の2012年から年に2回、春秋にイタリア・フィレンツェ中心地にあるショップやレストラン、バールを舞台に、五郎窯の複数名作家よる個展イベント『FUOCO d’ARTE(フォーコ・ダルテ)』を継続的に開催している[10]。 2014年からはイタリア人作家との交流がはじまり、五郎窯はヴェネツィアにあるアートスクール パンドラと共に、日伊陶芸展『AD EST DI NESSUN OVEST(アッド・エスト・ディ・ネッスン・オベスト)』をパドヴァの文化センター サン・ガエターノにて開催[11][12]。この展覧会を皮切りに、パンドラの門下生から陶芸アートグループ Collettivo C13(コレッティ―ボ・チー・トレディチ)が結成され、五郎窯はCollettivo C13との合同展やアートイベントを、日本とイタリアの各地で継続的に数多く展開している。 2019年5月にはボローニャのユネスコより、日本とイタリアの文化交流、協力に対する功績が認められ感謝状が贈られた。 彼の芸術活動は陶芸だけではなく多岐に至る。2012年11月に詩歌集『SPIGA 穂』を監修、出版。イタリアと日本の二人の詩人による俳句集で、フィレンツェの画家アントニオ・チッコーネによって挿絵が添えられている[13]。フィレンツェのギャラリーメンターナにて出版記念イベントが催された[14]。 また、2021年には友人であるブラジルの詩人ホセ・エドゥアルド・デグラツィアと共に、詩歌集『O súbito vento』を発表。詩集にはShogoroの書がおさめられている。 年譜
主な展覧会個展
グループ展
その他の活動茶会出版物詩歌集
脚注注釈
出典
外部リンク |