SKAサンクトペテルブルク
SKAサンクトペテルブルク(露: СКА Санкт-Петербург)はロシア・サンクトペテルブルクに本拠を持つKHL西カンファレンスに所属するアイスホッケーチーム。 1946年にキーロフDOとして創立。現在はガスプロムエクスポートがオーナーである。2014–15シーズンで旧ソ連リーグ時代を含めてリーグ初優勝を成し遂げ、2016/17シーズンに2年ぶり2回目の優勝を達成した。シーズン2016/17からパーヴェル・ダツュクがキャプテンを務めている。 SKA(ロシア語読みはスカー)は「軍のスポーツクラブ」を意味し、プロスポーツ選手が存在しないことが建前だったソ連時代にSKAの選手は実際にソ連軍に所属していた。選手は今でもアルメイツィ(ロシア語で「軍人」の意)の愛称で呼ばれる。同じ軍の中央スポーツクラブ、HC CSKAモスクワとはライバル関係にあり、SKAとCSKAの対戦はアーミー・ダービーと呼ばれる。 沿革現在に至るまで数回のチーム名改称を経てSKAとなった。
ソヴィエト選手権1946/47年[4]のシーズンからソヴィエト連邦の最高峰の選手権に出場しているが、1947/48年と1949/50年、そして1991/92年のシーズンは欠場した。1977年にはソヴィエトのジュニア選手権で優勝した。 ロシア選手権2000年にSKAの選手2名、アレクサンドル・ドロズデツキー[5]とアレクサンドル・ポルケエフがNHLにドラフトで指名される。2001年にはフョードル・チューチン[6]がNHLに指名された。 2005/06年のシーズンにチームはロシア選手権で13番目だった。2007/08年のシーズンは定期試合で6位を占めた。長い間SKAは上位グループに入っていたが、ファイナルに進むことができずにいた。1回戦でSKAはスパルタクに3対2で勝利するが、準々決勝でロコモティフ・ヤロスラブリに敗れた。 KHL2008/092008/09年にコンチネンタル・ホッケーリーグ(KHL)が開幕。SKAもKHLに加入する。シーズン当初はつまずいたが、最終的にチームはディヴィジョンで首位争いをしていた。最終的にSKAはディヴィジョン3位で定期試合を終え、プレーオフに出場するが第1ラウンドでスパルタクに敗れる[7]。 2009/102009/10年のシーズンにはディヴィジョンとコンファレンス全体の1位になり、リーグ全体の2位で定期試合を終えた。プレーオフでは第1ラウンドでディナモ・リガに敗北した[8]。 2010/112010年のシーズン開始前にクラブは海外からいくつかの大型移籍を実現。その中にはデニス・グレベショク[9]、マクシム・アフィノゲノフ[10]、エヴゲニー・ナボコフ[11]が入っていた。クラブはディヴィジョン2位(コンファレンスでは3位)で定期試合を終えプレーオフに進出。第1ラウンドではスパルタクに勝利して準決勝に進むが、アトラントに敗れた[12]。 2011/12シーズン途中でシビリ・ノボシビルスクからウラジーミル・タラセンコを獲得。タラセンコはマクシム・スシンスキーの記録(ポイントを記録した連続の試合数)を破った。現在の記録はタラセンコの打ち立てた14試合が最長となっている。タラセンコは14試合連続で合計21ポイント(11得点10アシスト)を記録し、これはSKAの選手にとってロシアの歴史で最高の記録となっている。 クラブはコンファレンス1位で定期試合を終了し、プレーオフではコンファレンスの決勝まで進んだが、ディナモ・モスクワに敗れて初のガガーリン・カップファイナル出場を逃した。 2012/13NHLのロックアウトによりKHLは規則を改定し、各クラブは選手を3人まで補強できるようになり、そのうち1人はNHLの有効な契約がある選手でもよいという内容になった。SKAにはセルゲイ・ボブロフスキー[13]、イリヤ・コワルチュクが招かれた。一方、前年に活躍を見せたタラセンコはNHLに移籍。 コワルチュクはシーズンにクラブで最多のポイント(42ポイント、18ゴール24アシスト)を記録。ゴールキーパーのセルゲイ・ボブロフスキーは確かな守備(阻止率93.2%)を見せ、最後の4試合のうち3試合は無失点で抑えた。 SKAはコンファレンス首位で2位のチームに勝ち点11点差を付けて定期試合を終了。また、クラブ史上初めてコンチネンタル・カップ優勝を成し遂げた。プレーオフでは再びコンファレンス決勝まで進んだが、再びディナモ・モスクワに敗れまたしてもガガーリン・カップファイナル出場を逃した。 2013/142013/14年のシーズンはチームのメンバーが大きく変わった。ゴールキーパーのボブロフスキーはNHLのロックアウトが終わるとコロンバス・ブルージャケッツに復帰したが、コワルチュクはSKAに残ることを選択した。クラブは大規模な補強を行い、ケトフ、シパチョフ、クテイキン、スカチコフ、リャセンスキーらを獲得。またチェコからチェルベンカを獲得した。ゴールキーパーに関してはチェコ人のアレクサンドル・サラクを獲得。 定期試合をコンファレンス2位で終了し、プレーオフの第1ラウンドではCSKAを4連勝で圧倒したが、続く第2ラウンド(コンファレンス準決勝)ではロコモティフ・ヤロスラブリに2勝4敗で敗れ、コンファレンスの決勝進出はできなかった[14]。 シーズンが終わると監督・コーチ陣はまるごと解任され、2014年4月4日、元ロシア代表監督のヴャチェスラフ・ビコフがSKAの監督に就任した[15]。ビコフは2010/11にKHLのサラワート・ユラーエフを率いてガガーリン・カップ獲得を達成した実績があり、代表監督だった2007年から2010年の間に世界選手権でロシアを金2・銀1・銅1に導いた実績があった。 2014/15シーズン開始前にSKAは元ドンバスでNHLでの経験もあるエヴゲニー・ダドーノフ[16]、スウェーデン人のベテラン選手ジミー・エリクソンを獲得[17]。 2014/15年のシーズンにSKAは開幕から順調だった。キャプテンのコワルチュク、若手のアルテミー・パナーリンらが活躍を見せ、シーズン中盤までSKAはリーグ全体の首位を占めていた。11月になるとややペースが落ち、連勝を続けるCSKAに首位を譲ったが、コンファレンス2位で定期試合を終了する。 プレーオフでは第1ラウンドでトルペード・ニージニーノヴゴロドを4勝1敗で圧倒。 第2ラウンドの相手はディナモ・モスクワだった。2012年と2013年にコンファレンス決勝で敗れた因縁のライバルであり、今シーズンでも定期試合で4回対戦して4回敗れているSKAの苦手なチームだった。しかしSKAは4勝1敗で勝利し、西部コンファレンスの決勝に進出する。 コンファレンスの対戦相手はSKAの宿命のライバル、CSKAだった。SKAは定期試合60戦で勝ち点123でコンファレンス2位、対するCSKAは勝ち点139で定期試合を首位で終了していた。コンファレンス決勝でSKAは第1試合を0対3、第2試合を延長2対3、第3試合を1対3で落とし、プレーオフ敗退の危機に陥る。 しかし、ここからSKAが奇跡の反撃を開始する。シパチョフ・ダドーノフ・パナーリンのトリオが活躍し、第4試合を4対1、第5試合を6対2、第6試合を延長2対1で勝利し、シリーズのスコアを3勝3敗にした。 2015年4月7日、モスクワでCSKA対SKAの運命を決定する第7試合が行われる。第1ピリオドでコワルチュク、第2ピリオドでダドーノフが得点してSKAは2対0でリードするが、第2ピリオドの終盤にCSKAが2点を返して同点に追いつく。第3ピリオドにSKAのパトリック・トレセンが勝ち越しゴールを決めるとそのまま逃げ切り、SKAは4勝3敗でCSKAに勝利[18]。初のガガーリン・カップファイナル出場を決めた。KHL史上、プレーオフで3敗から逆転勝利したのはSKAが初めてであり、NHLでも前例は数えるほどしかないことだった。 ガガーリン・カップファイナルでは東部コンファレンスの勝者アクバルス・カザンと対戦。4勝1敗で勝利し、ソ連時代も含め初めて優勝を成し遂げた[19][20]。 シーズンが終わると、監督のビコフは「家庭の事情」を理由に監督を辞任した[21]。 2015/162015/16年はSKAにとって変革のシーズンとなった。前シーズン終了後にビコフが監督を辞任したことにより、アンドレイ・ナザロフが監督に就任。多くの選手がチームを去った。前シーズンに大活躍したアルテミー・パナーリンはNHLに移籍[22]。ビクトル・チーホノフもNHLに移籍した。ロマン・チェルベンカ、ジミー・エリクソン、トニー・モルテンソン、パトリック・トレセンらもSKAを去った。一方、補強ではエゴール・ヤコブレフ[23]、ヨアヒム・リンドストリョーム、ヤルノ・コスキランタを獲得[24]。以前SKAでプレーしていたエヴゲニー・アルチューヒンはCSKAからSKAに移籍した。 シーズン開幕後,約3カ月にわかりSKAは前年のガガーリン・カップ覇者とは思えないほどの低迷を続け、SKAはプレーオフ進出すら危ぶまれるほどであった。2015年10月、監督のナザロフは解任され[25]、コーチのセルゲイ・ズボフが監督に就任した[26]。 クラブはシーズン途中の10月にユグラ・ハンティマンシースクとニキータ・グーセフをトレード[27]。NHLからヴャチェスラフ・ヴォイノフ[28]、12月にNHLからモーゼス・スティーブ[29]を獲得し、アヴァンギャルド・オムスクとセルゲイ・シロコフをトレードした[30]。これらの補強によりSKAは徐々に順位を上げて行き、最終的にはディヴィジョン2位コンファレンス6位で定期試合を終了した[31]。 プレーオフでは第1ラウンドでロコモティフに4勝1敗で勝利。第2ラウンドでは前年に続きディナモ・モスクワと対戦し、4勝2敗でディナモを退けてコンファレンス決勝に進んだ。 決勝の相手は前年と同じCSKAで、試合展開も前年と似たものになった。SKAは第1試合を0対3、第2試合を2対3、第3試合を延長0対1で落とし、敗退の危機に陥る。SKAファンは前年の奇跡の再現を期待したが奇跡は2度は起こらず、SKAは第4試合で延長1対2で敗れて2年連続のガガーリン・カップファイナル進出を逃した[32]。 プレーオフではキャプテンのコワルチュクは第1ラウンドと第2ラウンドで4試合しか出場しておらず、その4試合はすべてSKAが敗北した[33]。途中からシパチョフがキャプテンになり、コワルチュクはCSKAとの第3ラウンドには出場しなかったばかりか、ベンチ入りもできない状態で敗退を迎えた。 2016/17前シーズンの主力選手は大部分がチームに残った。
ファイナルでは2連覇を狙うメタルルグ・マグニトゴルスクと対戦。SKAはパーヴェル・ダツュクを欠いていたが攻撃と守備でメタルルグを抑え込み、4勝1敗で勝利して2年ぶり2度目の優勝を達成した[41][42]。 KHLの成績Note: GP = 試合数, W = 勝利, L = 敗戦, OTW = オーバータイムまたはシュートアウトによる勝利, OTL = オーバータイムまたはシュートアウトによる敗戦, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点
タイトル
主な選手
脚注
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