Juste DeboutJuste Debout(ジュストゥ・ドゥブ)は、2002年から毎年フランスのパリで行われており[1]、2対2で勝負を決めるストリートダンスの世界大会である。 概要大会名は、JUSTE(ただ[注釈 1]) DEBOUT(立っている[注釈 2])という意味のフランス語で、基本的に床を使わないストリートダンスの形式全般を指している。 立った状態で踊るストリートダンスの世界大会として有名で、ブレイクダンス以外のストリートダンス4大部門であるポッピン、ロッキン、ヒップホップ、ハウスの4部門を基本として行われ、これら4部門は2対2での対戦形式で行われる[1]。2018年までは、創作的な独創性のあるダンスの個人戦「EXPERIMENTAL(エクスペリメンタル)」部門を加えた5部門で行われたが、2019年からはエクスペリメンタル部門は行われず、2017年からは8歳から14歳までの子供向けに個人戦のジュニア部門が行われている。 最終予選は2004年からパリ市の後援を受けパリ市庁舎内[1]、決勝はライブ会場としても有名で15000人以上収容可能なフランス最大の屋内競技場であるベルシーで行われている[2]。ベルシーはフランス国内でも著名なライブ会場で、ここでイベントを開催できる団体は限られており、日本でいう日本武道館のような場所である。2018年と2019年の最終予選会場はオペラ・バスティーユで開催され、2020年のフランス予選はパリの「YOYO - Palais de Tokyo」で開催された[注釈 3]。 1年に一度20か国以上からダンサーが集結し、年によって多少変動するものの決勝の世界大会は有料観覧にもかかわらず15000人以上の観客動員を誇り、世界各国での予選を含めば約35000人から約45000人の観客数を動員[1][3][4]。ダンサーが知人や友人を集客する日本型のイベントとは異なり、ダンスに興味を持つ一般人の観客が多数を占める。 日本国内においても2007年(平成19年)から予選が開始され、勝ち抜いたチームは日本代表として世界大会への出場権利を得られるほか、主催者から世界大会の決勝会場への渡航援助を受けることができる[3]。 持ち時間の各1分間を2回ずつ交互に踊り対戦[5]。5名の審査員により判定が下される[5]。かかる音楽は大会のDJによって選ばれ、ダンサーには知られていない。対戦の判定については世界共通審査員制をとっており、世界各地の予選を含めてその年のJuste Debout全ての対戦における判定は同じ者が行っている。運営チームは約7名で行われ、Juste Debout School(ジュストゥ・ドゥブ・スクール)には約50人が携わっている[4]。 対戦以外では、国際的な技術を持つプロのダンサーが率いるワークショップ「Juste Debout School」、審査員とゲストによるダンスの披露「デモ」、誰でも参加できるパーティーなどが開催される。 世界最高峰のストリートダンス大会[6][7][8]、世界最大級のダンス対決イベント[1][3][4]ともいわれており、ストリートダンスのワールドカップとも位置づけされている[1]。 ストリートダンスの大会の中ではマスメディアへの抜群の影響力を持ち、世界中のダンサーたちが結果に注視する大会となっている。Les Twinsはビヨンセに、Salah(英語: Salah)はシルク・ドゥ・ソレイユに引き抜かれるきっかけになるなど、この大会を経て有名になったダンサーは数多く、日本人ではDA PUMPのKENZOやFISHBOY等がいる。そのため、2012年度には予選から決勝の世界大会まで冠スポンサーとしてパイオニアが協賛している[2][9]。 歴史1976年にパリで生まれたフランス系カメルーン人で、8歳からヒップホップダンスを始め、1997年にMCソラーと共演、1998年からフランスの伝説的なダンスチーム「Y-kanji(イカンジ)[注釈 4]」に所属、2000年にミュージカル「十戒」へ出演したという経歴を持つダンサー兼振付師「BRUCE Sone(ブルース・ソネ)[注釈 5]」が、2002年に創設[4]。2002年当時は、複数の様式のダンサーたちが集うイベントはまだ無く[4]、立った状態で踊るストリートダンスのダンサーたちが、自分たちのスタイルを思う存分披露できるイベントを作りたいという思いから、フランスのダンサー同士の交流とダンスの情勢を活性化するため立ち上げたイベントである[4]。 パリの郊外でブルースの出身地でもあるシャン=シュル=マルヌで行われた開催当初の第1回は400名程度の参加者であったが[4]、ドイツ、ロンドン、パリのMTV等で活躍するブルースに人望があったことに加え、世界中のトップダンサーがこのイベントを盛り上げようと協力したこともあり、第2回は約1200名が集まり[4]、開催するごとに参加者が膨れ上がった結果、毎回平均5000名程が参加している[4]。 参加者が増えたため、2007年からは日本、ドイツ、イタリア、チェコ、スペイン、スウェーデン、スイスなど各国で本大会への出場権を得るための予選大会が開催されるようになった。 2004年からはパリ市から助成金を提供され国際的な知名度を獲得し、当初はアメリカ人ダンサーが務めることが多かった審査員も、日本人ダンサーなど様々な外国人ダンサーも審査員を務めるようになった。 決勝会場は2004年からクーベルタン競技場(英語: Stade Pierre de Coubertin)に移し、2005年の観客数は計上できただけで約6000人超えという記録を打ち立て、2008年からはベルシーで開催。2015年はベルシーの改装のため、イベントは中止された。 2005年からは、もっと自由に、もっと型にはまらないダンスをダンサーたちに見せたいという思いからエクスペリメンタル部門が開始されたが、この部門がひとつの型にはまってしまっており、独創性に即していないことにブルースが気付き、2018年で中止された[4]。 イベントが大きくなった2009年には金銭面、時間的犠牲、嫉妬を含む世間からの評価など様々な問題から、このイベントを止めてしまおうとブルースは考えるが、複数のダンサーから涙を流され説得されたことで、このイベントはもうブルース一人のものでは無く、みんなで実現しているイベントだということに気が付いた[4]。 2020年の世界大会、及び2021年から2022年まではコロナ禍により大会中止に追い込まれるが[6][7]、2023年12月にはドイツのハンブルクで1対1での個人戦による特別大会「Juste Debout Gold」が開催されて、2024年には4年ぶりに完全な形式で世界大会が開催され[6][7]、フランスでの開催はオリンピックと重なることからハンブルクにあるスポーツホール・ハンブルク(ドイツ語: Sporthalle Hamburg)において世界大会が開催された[6][7]。 審査員
日本代表
優勝者ポッピン部門
ロッキン部門
ヒップホップ部門
ハウス部門
関連項目
脚注注釈
出典
外部リンク
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