G・E・L・オーエングウィリム・エリス・レーン・オーエン FBA (Gwilym Ellis Lane Owen, G. E. L. Owen, G.E.L.オーエン, 1922年5月18日 – 1982年7月10日) は、イギリス出身の西洋古典学者、古代ギリシア哲学研究者。G・ヴラストス、J・L・アクリルと並ぶ、分析哲学的手法で古代哲学を研究した初期の人物の一人[1]。 生涯1922年、ウェールズ人の父とイングランド人の母のもと、イングランドのポーツマスに生まれる[2]。同地のグラマースクールを卒業後、1940年、オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジに入学し古典学を学ぶ[2]。在学中に第二次大戦のため兵役に就き、タイ王国・英領ビルマ・英領インドに情報部員として派兵される[3]。1946年に復学し、1948年にB.A.を得ると、ギルバート・ライルの招きでオックスフォードのBPhilに進学し、1950年に修了する[4]。同年から1953年まで、ダラム大学のリサーチフェローとなる[3]。 1953年、出世作となる論文「プラトン対話篇における『ティマイオス』の位置」を発表する[1]。その内容は、文献学的な裏付けを交えつつ、『ティマイオス』を後期ではなく中期対話篇とみなすと同時に、後期対話篇ではイデア論を採っていないと主張するものであり、学界にインパクトを与えた[1]。 同年、オックスフォードの古代哲学講師となり、1957年に上級講師、1963年に哲学史教授となる[1]。その間、アリストテレス哲学のリバイバルを掲げてW・D・ロスらと読書会を開くなどする[5]。 1966年、ハーバード大学教授となり渡米する[6]。1973年、帰英しW・K・C・ガスリーの後任としてケンブリッジ大学古典学部のローレンス記念古代哲学教授となる[1]。ケンブリッジではキングス・カレッジのフェローを兼任した[3]。 1982年、心筋梗塞により逝去、享年60。晩年は燃え尽き症候群的なうつ病・アルコール依存症の兆候があったという[3]。 ローレンス記念古代哲学教授はマイルズ・バーニェトに引き継がれた。 関係ハーバードに客員研究員として訪れた井上忠は、オーエンの分析哲学的な手法に衝撃を受け、日本の学界に積極的に紹介した[7]。 ハーバードでの指導学生にマーサ・ヌスバウムがいる。2003年、ヌスバウムは生前のオーエンからセクハラ・アカハラ・性暴力の被害を受けていたことを明かした[8]。このことは2016年の『ザ・ニューヨーカー』の記事でも言及されている[9]。 著作日本語訳
参考文献日本語
日本語以外
脚注
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