FCヴィクトリア・ケルン座標: 北緯50度56分46秒 東経7度01分50秒 / 北緯50.946169度 東経7.030471度
FCヴィクトリア・ケルン(ドイツ語: FC Viktoria Köln)は、ドイツ・ケルンを本拠地とするサッカークラブ。 歴史1904年にFCゲルマニア・カルク(FC Germania Kalk)として設立された。1909年にFCカルク(FC Kalk)と合併し、SVカルク04(SV Kalk 04)となった。1911年にはさらにミュルハイマーFC(Mülheimer FC)と合併し、VfRミュルハイム=カルク04(VfR Mülheim-Kalk 04)となった。1918年にVfRケルン04(VfR Köln 04)に改名した。1926年に西ドイツサッカーリーグで優勝し、全国リーグに参戦した。 1933年にリーグ再編によって全国リーグが廃止、ガウリーガ・ミッテルライン所属となった。1935年、1937年に優勝したが、全国では揮わなかった。1941年にリーグが分割されると、ガウリーガ・ケルン=アーヘンに所属した。1943年には戦時統合によってミュルハイマーSV 06(Mülheimer SV 06)と統合され、KSG VfR 04ケルン/ミュルハイマーSV 06(KSG VfR 04 Köln/Mülheimer SV 06)としてリーグに参戦した。ミュルハイマーSV 06も1934年と1940年に同じリーグで優勝した経験があるものの、全国では揮わなかったクラブである。1944-45シーズン中、連合国軍の反攻によってリーグは機能停止となった。 戦後は1948年にVfRケルン(VfR Köln)として活動再開、オーバーリーガ・ヴェストに所属したが、1シーズンで降格した。1949年にミュルハイマーSV 06と再合併し、SCラピード・ケルン04(SC Rapid Köln 04)に改名した。しかし1952年には2部からも降格した。 1957年に1部所属のSCプロイセン・デルブリュック(SC Preußen Dellbrück)と合併し、SCヴィクトリア04ケルン(SC Viktoria 04 Köln)となった。プロイセン・デルブリュックは1950年に全国準決勝進出の経歴を持っているクラブであった。 1962年には市によってインターシティーズ・フェアーズカップ1962-63に臨む代表クラブに選出されたが、1回戦のフェレンツヴァーロシュTCに敗れた。翌年にブンデスリーガが成立したものの参戦出来ず、レギオナルリーガ・ヴェストに所属、それも1970年代に2.ブンデスリーガが成立する頃にはフェアバンズリーガ降格の成績で全く揮わなかった。1978年に2.ブンデスリーガに参戦したが、1981年に降格した。 1994年にSCブリュック(SC Brück)と合併し、SCBプロイセン・ケルン(SCB Preußen Köln)に改名。新たな名前はプロイセン・デルブリュックを意識してつけられた。ただ成績は揮わず、新たに成立したレギオナルリーガからは早々に降格、2000年にオーバーリーガ・ノルドラインで2位につけたのが最高成績であった。2002年にSCBヴィクトリア・ケルン(SCB Viktoria Köln)に改名したが2000年代半ばに5部のフェアバンズリーガ・ミッテルラインに降格すると、2008年には活動停止状態に追い込まれた。 2010年6月22日、破産したSCBヴィクトリア・ケルンのユースチームを買収しFCヴィクトリア・ケルン(FC Viktoria Köln)が設立された。SCB時代の成績を引き継いでランデスリーガからの参戦が想定されていたが、協会側がこれを認めず、最下部であるクライスリーガDからのスタートとなった。しかし2011年2月24日にFCユンケルスドルフを買収、ユンケルスドルフはこのシーズンにオーバーリーガ・ミッテルラインで優勝したため、1年でノルトライン=ヴェストファーレンリーガにまで昇格した。翌シーズンにも優勝したため、僅か2年で4部のレギオナルリーガ・ヴェストに参戦する事となった。2019年に3.リーガに昇格した。 クラブ名変遷
1909年にFCカルクと合併
1911年にミュルハイマーFCと合併
1943年にミュルハイマーSV 06と戦時統合
第二次世界大戦による中断
1949年にミュルハイマーSV 06と合併
1957年にSCプロイセン・デルブリュックと合併
1994年にSCブリュックと合併
破産
出典:[1] 過去のロゴ1949年
1957年
1994年
2002年
2007年
2010年
タイトル
欧州の成績
歴代所属選手→詳細は「Category:FCヴィクトリア・ケルンの選手」を参照
参考文献
外部リンク |