A-40
アントノフ A-40のデザイナーズモデル
性能諸元 全長
12.06m(グライダー装着時) 全幅
18.00m(グライダー装着時) 重量
7.804t(グライダー装着時。グライダー本体の重量は2004kg) 乗員
2名 翼面積は85.8平方m[ 1] テンプレートを表示
アントノフ A-40 はソビエト連邦 の試作した空挺戦車である。航空機の後方に戦車を牽引して滑空させ、戦場へ送り込んで空挺部隊やパルチザン を支援するよう意図していた。試作車輌が製造され、1942年に審査されたが、実際の運用は不可能であることが判明した。本車は「クルィーリヤ・タンカ」 (ロシア語 : крылья танка 「tank wings」の意味) の名称も有するほか、A-40T またはKT としばしば呼ばれる。
設計及び開発
他国が採用したような軍用グライダーに軽戦車を積載する方法の代わりとして、ソ連の空挺部隊はT-27 豆戦車 を重爆撃機の胴体下部に縛着し、滑走路にこれらを着地させた。1930年代になると、パラシュートをつけた戦車を投下して効果を見ること、あるいは単に水中へ戦車を投下する実験が行われた。1940年にソ連によるベッサラビア への侵攻が開始された際に、TB-3 爆撃機から軽戦車が高度数mで投下された可能性がある。これらは停止するまで空転可能なよう、変速機 がニュートラルに入れられていた。
空挺投下される車輌の最大の問題点は、装備と乗員を分けて投下することであり、分かれた彼らが作戦行動に移るまで、多分に遅れたり妨害を受けることであった。グライダーならば、乗員に加えて戦車が投下地帯に到達できた。こうしたグライダーはまた、価値ある牽引用航空機が戦場上空を通過する必要を無くし、母機の露出を最小限にとどめた。そこでソ連空軍 は、オリェーク・アントーノフ に対し、空挺戦車用のグライダーを設計するよう指示した。
T-27 豆戦車を搭載したTB-3 爆撃機。1935年
アントーノフはより野心的であり、グライダーを造る替わりに、彼はT-60軽戦車へ分離可能なゆりかごを加え、木と布でできた大型の複葉翼と双尾翼を取り付けた。この戦車は戦場へ降下侵入でき、主翼を離脱させて、数分で戦闘準備を完了した。
1942年、1輛のT-60 がグライダーへ変じた。この車輌はペトリャコフPe-8 またはツポレフTB-3による牽引を意図していた。この車輌は空挺使用のために軽量化され、兵装、弾薬、ヘッドライトを撤去し、非常に限られた量の燃料を残していた。こうした改修を経てさえ、1942年9月2日に一度きり行われた初飛行で、TB-3爆撃機はこのグライダーの極度の抗力から、事故回避のためにこれを不時着させなければならなかった。報告によればこの戦車は滑らかに滑空したともされている。A-40はSergei Anokhinによって操縦されており、彼はソ連におけるグライダー試験のテストパイロットとして有名だった。T-60は飛行場近くの平原に着陸し、滑空用の翼と双尾翼を離脱した後、パイロットは基地へと戦車を帰した。この戦車を牽引するには160km/hの速さが必須であるが、それを行うほど十分に強力な航空機が欠如していたことから、開発計画は断念された。
ソビエト連邦は、効率的に空挺車輌を展開する手法を開発し続けた。1970年代中期、ソ連では乗員を乗せた状態でBMD-1 戦闘車輌を空挺投下させることができた。
登場作品
ゲーム
『トータル・タンク・シミュレーター 』
ソビエト連邦の機密兵器軽戦車A-40 KTとしてT-60を改造したものが登場。空中から敵陣に向かって飛んでゆき着地すると双尾翼が外れる。
脚注
参考文献
Gunston, Bill (1995). The Osprey Encyclopedia of Russian Aircraft 1875-1995 . London: Osprey. pp. 19–20. ISBN 1-85532-405-9
Shavrov, V. (1997). “Istoriya konstruktsiy samoletov v SSSR”. Bronekollektsiya (4).
Zaloga, Steven J.; James Grandsen (1984). Soviet Tanks and Combat Vehicles of World War Two . London: Arms and Armour Press. pp. 192–3. ISBN 0-85368-606-8
関連項目
外部リンク