40階段座標: 北緯35度06分14秒 東経129度02分04秒 / 北緯35.1039度 東経129.0345度 40階段(よんじゅうかいだん、朝鮮語: 40계단)は釜山広域市中区中央洞に位置する文化名所[1]。朝鮮戦争当時に近隣に居住していた避難民や、埠頭労働者たちの哀歓を称えるためとして、国民銀行中央洞支店から40階段までの区間が「40階段文化観光テーマ通り(40계단문화관광테마거리)」として造成されている[2]。映画『NOWHERE~情け容赦なし~(인정사정 볼 것 없다)』の冒頭の場面にも登場し、広く知られた。 この階段は、釜山交通公社1号線の中央駅11番出口から、歩いて5分ほどのところにある[3]。 階段下には、「四十階段紀念碑」と刻まれた石碑が立っている[4]。 歴史40階段が、いつ造成されたかについては、はっきりした時期は分かっていないが、階段の下から続く一帯が1902年から1908年に埋め立てられて1908年に中央洞に釜山駅広場が設けられた後、1909年から1912年にかけてのいずれかの時点で、段丘面上の東光洞と往来するための最初の階段が設けられ、後に25メートルほど場所が移り、現在の階段になったと考えられている[5]。 朝鮮戦争の際には、多数の避難民が釜山に流入したが、40階段周辺には多数のバラックが集まって、市も立ち、階段は戦争の混乱で離散した家族が、再会を約する場所として広く知られるようになった[5]。戦争中の1951年には、パク・ジュホンが歌った「경상도 아가씨(慶尚道の女)」の歌詞に40階段が取り上げられた[4]。 しかし、その後、階段上にも建物が立て込み、幅が1メートルほどしかない状態にもなったという[5]。 1993年、中区庁は地域住民の協力を得て、元の場所から25メートル南側の位置に40段の階段を復元し、新たにこれを40階段として、階段下に石碑も設け、8月6日に除幕式を行なった[4]。 2002年1月31日、40階段周辺を整備する「テーマ通り造成事業基本計画(테마거리 조성사업 기본 계획)」が発表され、2003年6月5日に着工、2004年4月20日に工事は完成した[6]。6月に除幕されたこの通りは、1950年代から1960年代の雰囲気を演出し、当時の人々の風俗を表現した銅像などが設けられた[5]。40階段文化観光テーマ通りは、この通りは、建設交通部が選定した「韓国の美しい道100選(한국의 아름다운 길 100선)のひとつに選ばれた[5]。また、階段上から100メートルほど離れた場所にある東光洞住民センター(동광동 주민센터)の中に40階段文化館(40계단 문화관)が設けられており、朝鮮戦争関係の歴史展示がなされている[5]。 脚注
外部リンク
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