共和国議会議事堂(サン・ベント宮殿 )
1995年ポルトガル議会選挙 (1995ねんぽるとがるぎかいせんきょ、ポルトガル語 :Eleições legislativas portuguesas de 1995)は、ポルトガル共和国 の立法府 である共和国議会 (Assembleia da República)を構成する議員を選出するため、1995年 10月1日 に行われた選挙 である。
概要
共和国議会議員の任期満了に伴って行われた選挙で、ポルトガル第三共和政では8回目の選挙となった。
選挙制度
議会定数 :230議席
議員任期 :4年(但し、議会が解散された場合は任期満了前に議員資格を失う)
選挙制度 [ 1] :比例代表制 (拘束名簿式)
有権者は政党に投票
選挙区毎にドント式 で各政党に比例配分
議席阻止条項は無し
選挙区 [ 2] :22選挙区(2~48名)
ポルトガル本土:18選挙区
アゾレス諸島 :1選挙区
マデイラ諸島 :1選挙区
国外欧州内選挙区:1選挙区
国外欧州外選挙区:1選挙区
有権者 :選挙権と被選挙権は共に18歳以上のポルトガル国民
選挙結果
党派別の得票と議席数
党派
得票数
得票率[ 4]
議席数
社会党 (PS)
2,583,755
43,76
112
社会民主党 (PPD/PSD)
2,014,589
34,12
88
民主社会中道・人民党 (CDS-PP)
534,470
9,05
15
統一民主同盟 [ 5] (CDU)
506,157
8,57
15
その他の政党[ 6]
152,790
2.58
0
白票
45,793
0.78
―
無効票
67,300
1.14
―
合計
5,904,854
250
男性当選者
(200)
女性当選者
(30)
開票の結果、全国でまんべんなく得票を重ねたPSが与党PSDを30議席以上も上回って第一党となった。この結果、1985年に政権を失って以来PSは10年ぶりに政権に返り咲くことになった。PSの勝因としては、①10年に及ぶPSDによる長期政権で国民が変化を望んでいたこと、②PSD政権の緊縮財政政策による景気回復の遅れ、③PSD政権が抜本的な失業対策に欠けていた。―などが挙げられている[ 7] 。10月12日、ソアレス大統領は、PS書記長であるアントニオ・グテーレス を正式に首相に指名し、10年間に及ぶPSD政権にピリオドが打たれた。
選挙結果とは直接の関係はないが、ソウルオリンピック 女子マラソン の金メダリストであるロザ・モタ がPSから出馬して当選を果たしている[ 8] 。
脚注
^ 国立国会図書館 政治議会課憲法室 三輪和宏 「諸外国の下院の選挙制度-資料- 」(PDF )国立国会図書館
^ 2005年10月14日 CLAIR REPORT NO274『ポルトガルの地方自治 』(PDF )自治体国際化協会 。4~5頁
^ CNE Assembleia da República - 01/10/1995 Resultados Nacionais
^ 各政党の得票率は有効得票と白票・無効票を合計したものを100として計算したものである。
^ ポルトガル共産党 (PCP)と緑の党 (PEV)による選挙連合。
^ 名簿を提出したが、議席を得る事ができなかった政党や候補者連合は9つである。
^ 「社会党、政権を奪回 ポルトガル総選挙 10年ぶりに第一党」朝日新聞 1995年10月2日付夕刊2面
^ 「モタさんにも当選の"バラ" ポルトガル総選挙 マラソン女王、国会へ」朝日新聞1995年10月3日付9面国際
上記外部リンクはいずれも2010年1月13日閲覧
参考文献