1984年ロサンゼルスオリンピックの野球競技
1984年ロサンゼルスオリンピックの野球競技(1984ねんロサンゼルスオリンピックのやきゅうきょうぎ)は、1984年7月31日から8月7日にかけて公開競技として実施された。 概要これまでにも、オリンピックにおいて野球は公開競技として行われてはいたが、この大会からナショナルチーム同士によって行われるようになった。当初、開催国のアメリカはじめ、キューバ、ニカラグア、韓国、イタリア、チャイニーズタイペイの6カ国によって行われる予定でいた。しかし、1980年モスクワオリンピックによる西側諸国のボイコットへの報復として共産圏がボイコットを表明し、アマチュア最強と目されていたキューバも不参加となり、大会の目玉を失うこととなった。 出場国拡大へこの危機に、大会組織委員長を務め、ロサンゼルスオリンピック直後、MLBコミッショナーに就任することになるピーター・ユベロスが出場国の拡大を提唱、これを受けたAINBA(現IBAF)が日本、カナダ、オランダを候補に挙げ、共に国内で野球の人気、実力の高い日本、カナダを追加し、キューバの代わりにドミニカ共和国の出場を決めた。 この様な事情により、一度はチャイニーズタイペイとの代表決定戦に敗れて出場を逃した日本だったが幸運にも出場権を与えられることとなり、さらに公開競技ではあるが金メダルをも獲得することとなった。 出場国
予選リーグ白組
青組
^1当該対戦の勝敗で順位を決定。
決勝トーナメント
準決勝
3位決定戦
決勝
順位表
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