11人制ハンドボール
11人制ハンドボールとは、ハンドボール競技の一種で、1960年代まで盛んに行われたチームスポーツ。サッカーと同じ大きさのフィールドやゴールを使い、屋外で公式競技が行われた。 1960年代以降、ハンドボールの公式競技は屋内での7人制に移行したため、現在「ハンドボール」と呼称する競技は、一般的に7人制ハンドボールを指す。 7人制と区別するため、「11人制ハンドボール」や「屋外ハンドボール」、「フィールドハンドボール」などと呼ばれている。 本記事では「11人制ハンドボール」と表記する[1]。 歴史起源11人制ハンドボールは、20世紀初頭のドイツで男子サッカーに代わる女子用の球技として創案された。 1915年ごろ、公式に残る記録では1919年、ドイツのカール・シェレンツ(Karl Schelenz)による競技規則の制定が11人制ハンドボールの起源とされている。 シェレンツは、19世紀末のドイツで盛んに行われていた女性向けの競技「トーアバル(Torball)[2]」をもとに、サッカーの持つスポーツ性を取り入れ、男性にも女性にもできる球技として、11人制ハンドボールを普及、指導した。 発展11人制と7人制は相互に影響しながら発展を遂げた。 1928年には、国際アマチュアハンドボール連盟が創設され、1934年に11人制と7人制の競技規則が制定された。 オリンピックでは1936年に男子11人制が実施種目に採用された。1938年には男子11人制と男子7人制による、第1回ハンドボール世界選手権が開催された。 7人制への移行11人制に比べ、少人数で競技場が小さい7人制は競技実施が容易であり、徐々にハンドボール競技の主流は7人制となっていった。 1946年には、7人制が盛んであったデンマークやスウェーデンにより、国際ハンドボール連盟が設立。国際アマチュアハンドボール連盟は発展的解消を遂げ、ハンドボール競技は徐々に7人制へと一本化されていった。 日本での歴史1922年、東京師範学校の大谷武一により11人制が紹介された。大谷による11人制の紹介は、日本におけるハンドボール競技の起源とされている。 国際的に7人制への移行が進んだことを受け、1963年には全ての国内公式戦が7人制へと移行し、11人制ハンドボールは廃止された。 現在、国内の11人制ハンドボールは、シニア世代向けの交流大会がわずかに行われるのみとなっている[3]。 ルール35mラインにより攻守がほぼ分業され、体力の消耗が少ないことや、フィールドが広く接触が少ないこと、ボールの扱いが比較的易しいことなどから、同時期のサッカーに比べ、女性や子供にも行いやすい競技とされていた。
脚注
参考文献
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