鼠遊亭鉄扇
鼠遊亭 鉄扇(そゆうてい てっせん)は、落語家の名跡。現在は空き名跡となっている。旧字体は鼠遊亭鐵扇。 2代目は2人いたようでありつまびらかでない。 初代
文政から嘉永末時代の人物ではじめ、師匠筋不明で栄山といい講談師であった。のちに初代船遊亭扇橋の門弟となり鼠遊亭鉄扇を名乗った。軍書笑話を得意とした。1854年出版の「落語年代記」では故人として記載されている。 2代目2代目は同時期ではないが2人いたようである。
福山藩の樋口茂の倅で源内、後に江戸へ来て栄吉と名乗った。天保の頃から初代の門弟となり萬文亭古扇、扇之助、口渡り語教を経て初代没後間もなく2代目鼠遊亭鉄扇を襲名した。
上記とは別の幕末から明治はじめの人物、初代の門弟で志ん玉から2代目鼠遊亭鉄扇を襲名した、後年鼠遊亭鉄風を名乗った。明治10年代に没したようである。 3代目柳亭左楽、2代目富士松ぎん蝶、中村秀五郎、中村鶴若は実子もいわれるがはっきりしない(一説には4人の父は春風亭柳賀とも)。 3代目
初代の門弟の鉄山が鼠遊亭鉄風の2代目が没後明治10年代に襲名した。 鉄扇楼鼠遊桂文慶が 出典
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