黄漢樑
黄 漢樑(こう かんりょう)は中華民国の政治家。「黄漢梁」と表記される場合もある[2]。 事績公立北京清華学校を卒業し、アメリカへ留学する。ミシガン大学とプリンストン大学を経てコロンビア大学に入学し、哲学博士号を取得した。1918年(民国7年)に帰国し、銀行界で就職する。上海やマニラで勤務した後、1923年(民国12年)、匯豊銀行香港分行行長となる。 1930年(民国19年)、国民政府鉄道部において顧問となる。同年9月、整理招商局委員会委員となり、翌月には鉄道部次長兼英国庚子賠償委員会委員となった。1931年(民国20年)12月から翌年1月まで、短期間ながら財政部長署理となっている。鉄道部常務次長も同時に退任した。 これ以後の黄漢樑の活動・行方については不明である。 注参考文献
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