魏光燾
魏 光燾(ぎ こうとう)は、清末の政治家。もとの名は光邴。別名は午荘。字は遷善、号は湖山老人。 湖南省宝慶府邵陽県(現在の湖南省邵陽市隆回県)出身。1856年、湘軍に入り、江西省・広西省・浙江省・福建省などで太平天国軍と戦った。1868年より左宗棠に従って、陝西省・甘粛省で回民蜂起軍と戦った。さらに左宗棠がヤクブ・ベクの乱鎮圧に向かうと、これに従い軍事と政治の両面で支えた。ヤクブ・ベクの乱の平定後に新疆省が設置されると初代の新疆布政使に任命された。 その後、陝西巡撫、陝甘総督、雲貴総督、両江総督、南洋大臣、総理各国事物大臣の職を歴任した。両江総督の在任中には劉坤一・張之洞の後を継いで三江師範学堂(現在の南京大学)を開校させた。1905年に引退し郷里に帰った。辛亥革命発生後に湖広総督に起用されたが就任しなかった。 著書には『勘定新疆記』『湖山老人自述』がある。
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