馬岳梁馬 岳梁(ま がくりょう、1901年 - 1998年)は、呉式太極拳三代目の代表人物の一人。二代目呉鑑泉の弟子であり、1930年呉鑑泉の長女呉英華と結婚し、呉鑑泉の婿でもある。満州族出身。 経歴馬岳梁は北京協和医学院を卒業後、北京協和医院に就職[1]。青年時代武術が嗜好し、呉式太極拳創始者である呉鑑泉家と何世代の親交があるため、呉鑑泉から「武術には専一が重要で、もし現在習っている(他の)武術を諦めて私に従われば、私の技を教えてあげる」(原文:“武術貴在専一,若棄所学而従余,当以技援汝。”)と勧められた。そのきっかけで、呉鑑泉の元で太極拳を専攻し始めた[1]。 1928年、上海中山医学院顔福慶院長の要請で馬岳梁は上海に移住し、上海中山医院に転職した[1]。同時期呉鑑泉が上海で太極拳の伝授を始めたため、馬岳梁も太極拳の教学に協力していた[1]。生涯70年間あまりの太極拳教学の中で、上海鑑泉太極拳社副社長、社長を歴任[1]。日中戦争時汪精衛政府の重要職に任命されたが、それを断るために上海から四川へ亡命した[1]。その後四川、広西などの省で太極拳の伝授を行った[1]。高齢になった後でも馬岳梁は太極拳の教学・普及に続けて力を注いだ[1]。八十代のころ、呉式太極拳を世界に広げるために遠いドイツまで赴いた[1]。その後妻呉英華と共にニュージーランド、オーストラリアを訪問した[1]。 名誉及び受賞歴
著書
脚注 |