馬場克昌馬場 克昌(ばば かつまさ、天明5年(1785年) - 慶応4年9月10日(1868年10月25日))は江戸時代後期の旗本、博物学者、植物画家である。官途は従五位下筑前守。『遠西舶上画譜』、『群英類聚譜』を残した。 経歴通称は大助、字は仲達、号は資生圃。釜戸馬場氏8代目で日光奉行を務めた馬場利光の次男として江戸で生まれた。美濃国釜戸(現在の瑞浪市内)など禄高2千石の大身の旗本であった。岡本玄冶の養子となったが、兄昌平の死により文化9年(1812年)家督相続した。小姓組使番などを歴任し、西丸目付から安政4年(1857年)、西丸留守居となり、従五位下筑前守に叙任された。本草を設楽貞丈、絵画を増島雪斎に学んだ。天保8年(1837年)幕命により関八州と伊豆国を巡察した。文久2年(1862年)に隠居。 麻布飯倉に3000坪の屋敷を持ち、知行地の美濃から移した珍しい草木を植えた。江戸詰の大名で、本草好きの大名が集まった赭鞭会の主要なメンバーになった。嘉永5年(1852年)に『群英類聚譜』、安政2年に『遠西舶上画譜』を完成した。『群英類聚譜』は73冊、草2555種、木646種、計3201種の図が描かれた。『遠西舶上画譜』は西洋の花の図譜で植物図鑑というべきもので、ドドネウスの『草木誌』、ワインマン『植物図譜』、ショーメル『日用百科辞典』などを参考して描かれたもので全10冊、540丁であり外国産の渡来の記録が残されている。 参考文献
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