飴山實
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 経歴・人物石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞[1]。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 俳人としての活動句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた[1]。高校在学中の1946年より「風」に投句。大学在学中の1947年、この年に創刊された「貨物列車」、翌年創刊の「楕円律」に同人として安東次男らとともに参加。1951年「風」同人。その後5年ほど句作から遠ざかったが、芝不器男の句に触発されて投句を再開、1956年に「風」同人に復帰[1]。1961年より芝不器男について調べはじめ、1962年より角川書店『俳句』に「芝不器男伝」を連載。1970年、『芝不器男伝』『定本芝不器男句集』を刊行。また1960年半ば頃より無所属になるとともに、安東次男の句と著作に親しんだ[2]。 代表句に「小鳥死に枯野よく透く籠のこる」「うつくしきあぎととあへり能登時雨」(ともに『少長集』)など。初期には社会性俳句の流れの中、「論理に支えられた叙情」を主張したが、1960年代から季語を重視した平明な作風に変わった[1][3]。1993年より2000年まで朝日新聞俳壇選者。門人に長谷川櫂がいる。 著書
共著・編纂・監修
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