音羽山(おとわやま)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。初代・音羽山が四股名として名乗っていたもので、その名称は江戸・音羽町に由来するとされている。
音羽山の代々
代目 |
引退時しこ名 |
最高位 |
現役時の所属部屋 |
襲名期間 |
備考
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初代 |
音羽山峰右衛門 |
前1 |
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2代雷に名称変更
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2代 |
? |
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音羽山部屋? |
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3代 |
? |
--- |
音羽山部屋? |
1779年?月-1799年2月 |
4代雷に名跡変更
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4代 |
泉嵜雷助 |
前3 |
音羽山-雷部屋 |
1802年2月-1820年5月(死去) |
二枚鑑札
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5代 |
音羽山峰右エ門 |
関脇 |
雷-音羽山-粂川部屋 |
1821年10月-1827年?月(返上?) |
二枚鑑札
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6代 |
十万ノ海剛右衛門 |
前3 |
粂川-雷部屋 |
1839年11月-1864年?月 |
9代雷に名跡変更
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7代 |
築瀬嶽熊吉 |
前3 |
陣幕-押尾川-雷部屋 |
1866年11月-1868年?月(廃業) |
二枚鑑札
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8代 |
出釋迦山峰吉 |
関脇 |
湊-雷-音羽山-雷部屋 |
1873年?-1878年2月(死去) |
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9代 |
出釈迦山与吉 |
十2 |
音羽山-雷-音羽山部屋 |
1880年1月-1887年11月(死去) |
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10代 |
新川市平 |
前9 |
桐山-佐野山部屋 |
1890年6月-1894年1月(死去) |
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11代 |
梅垣直治郎 |
十8 |
雷部屋 |
1897年5月-1923年9月(死去) |
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12代 |
白岩亮治 |
前2 |
尾車-峰崎-尾車部屋 |
1930年5月-1961年1月(停年(定年。以下同)退職) |
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13代 |
双ツ龍徳義 |
前1 |
時津風部屋 |
1961年1月-1961年3月 |
借株 11代粂川に名称変更
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14代 |
大ノ浦一廣 |
前16 |
二所ノ関-花籠部屋 |
1962年5月-1963年11月(廃業) |
借株
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15代 |
若ノ海正照 |
小結 |
二所ノ関-花籠部屋 |
1963年11月-1996年8月(停年退職) |
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16代 |
大若松好弘 |
前13 |
大鵬部屋 |
1996年8月-1997年11月 |
借株 10代浅香山へ名称変更
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17代 |
若翔洋俊一 |
関脇 |
二子山部屋 |
1997年11月-2000年3月(退職) |
借株
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18代 |
隆三杉太一 |
小結 |
二子山部屋 |
2000年3月-2004年3月 |
借株 15代常盤山に名称変更
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19代 |
貴ノ浪貞博 |
大関 |
藤島-二子山-貴乃花部屋 |
2004年5月‐2015年6月(死去) |
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20代 |
光法賢一 |
前9 |
宮城野部屋 |
2015年7月-2018年1月(退職) |
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21代 |
大道健二 |
前8 |
阿武松部屋 |
2018年1月-2019年9月 |
13代阿武松に名跡変更
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22代 |
益荒雄宏生 |
関脇 |
押尾川部屋 |
2019年9月(退職) |
退職日のみ襲名[1]
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23代 |
天鎧鵬貴由輝 |
前8 |
尾上部屋 |
2020年2月-2023年1月 |
借株 24代佐ノ山に名跡変更
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24代 |
鶴竜力三郎 |
横綱 |
井筒-陸奥部屋 |
2023年12月- |
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関連項目
- 音羽山部屋
- 四代目音羽山は福島県泉崎村出身、近村に婿入りし子供が病死、離婚して26歳で力士になった。白河藩主老中松平定信のお抱え力士。大関雷電為右衛門(197センチ、169キロ)を足取りで破り、実況内容の手紙が残されている。小兵の音羽山は立ち合いで「オリャー」と鋭い気合を発し、雷電の突きをかわし、足の膝を取った音羽山は渾身の力で振り、雷電をゴロリと転がした。「雷電は雲の上でゴロつくに音羽が山の下でゴロゴロ」と詠われた。足取りは小兵力士が得意、そのまま土俵外に押出す例が多い。油断した雷電は、音羽山の気合(気合術と同じになった)に一瞬体の力が抜けた可能性がある。千秋楽で雷電と2回戦った唯一の力士。真相「め組の喧嘩」の手紙もあり、佐渡ヶ嶽とともに大活躍した。故郷の奥州街道沿いに改名後「雷峯右衛門」の碑が建てられ、巡業の力士は必ず手を合わせた伝説がある。現在、石碑は泉崎駅前に移転。作品『関取音羽山物語』高久達英(ペンネーム池月映)歴史春秋社 。
脚注