青生東谿青生 東谿(あおう とうけい、明和2年(1764年) – 天保9年2月18日(1838年3月13日))は、江戸時代後期の地理学者[1]。本名は元宣[1]。字は子和[2]。青生は号で、別号に市川、芸亭がある[3][4]。通称は井桁屋茂兵衛[5][6]。 経歴・人物尾張国の人物[2]。名古屋の大曽根坂上で薬種商を営んだ豪商[3][4]。詩歌や絵画を能くした[3][4][2]。のち京都において僧位に叙せられた[3][4]。 文政11年(1828年)および天保8年(1837年)にのちの分県地図の先駆けとなる『国郡全図』を刊行した[1][5][6]。 国郡全図文政11年(1828年)名古屋の永楽屋東四郎が初版出版[5][6]。天保8年(1837年)江戸の地図出版者須原屋茂兵衛が改訂版を刊行する[5][6]。 日本総図を分割した地図帳で、上下2巻に分かれる[5][6]。紙本墨摺著色[2]。諸国の形は、水戸藩の儒官、長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』に準拠している[5][6]。原図となった赤水図は全国を一紙に描く都合上、詳しさには限度があったため、これを地図帳の形とした[5][6]。 構成は、菅原長親ら3名による序の後、自序、凡例、郡名目録などが続き畿内から東海道・東山道といった順番に各国の地図が並ぶ[5][6]。国の大小によらず、1国1図を原則(面積が広い陸奥国・出羽国・越後国・薩摩国は数図に分割されている)としており縮尺は図毎に異なっている[5][6]。このうち、東谿の故郷である尾張図は精細な出来映えとなっている[5][6]。自序によると国毎に絵図を収集し参考にしたという[5][6]。 脚注
|