青木行義

獲得メダル
日本の旗 日本
競泳
アジア競技大会
1954 マニラ 男子1500m自由形
青木行義

青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 1996年4月19日)は、日本競泳選手。種目は自由形熊本県出身。

熊本県立鹿本高等学校在学中の1952年のヘルシンキオリンピックの1500m自由形では19分27秒0で予選敗退、日本大学に在学中の1956年のメルボルンオリンピック1500m自由形では18分38秒3で7位となった[1]

また1954年アジア競技大会1500m自由形では金メダルを獲得した。

菊鹿町の名誉町民となっている[2]。1996年、61歳で死去した[3]

1972年ミュンヘンオリンピックの女子100mバタフライで金メダルを獲得した青木まゆみいとこにあたる[4]

脚注

  1. ^ Biography and Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月27日閲覧。
  2. ^ 菊鹿町閉町式” (PDF). 山鹿市. p. 48. 2012年6月27日閲覧。
  3. ^ 日外アソシエーツwhoplus』 「青木 行義(アオキ ユキヨシ,水泳選手)」
  4. ^ 読売新聞』1972年6月18日付4面「[人間登場]女子100メートル・バタフライで今季世界最高出した 青木まゆみ」   (ヨミダス歴史館にて2012年6月27日閲覧)

外部リンク