霊山 (伊賀市)
概要布引山地の北端に位置する山で、標高は765.8メートルである[1]。山名は霊山寺に因む。天然林を有し、アセビやイヌツゲなどの県指定天然記念物が群生する[1]。毎年4月中旬には霊山寺にて「さくら祭り」が開催される[1]。山中には休憩場や遊歩道が設置され、山頂までは車で登ることができる[1]。また、源頼朝に関する以下の伝説が残る(史実とは考えられていない)[2]。
霊山寺霊山寺(れいざんじ)は、三重県伊賀市下柘植3252に位置する黄檗宗の寺院[3]。 創建は平安時代初期の弘仁年間(810 - 824年)とされ、開基は最澄によると伝えられる[1]。元は霊山山頂に位置した巨大寺院で、七堂伽藍を有して信仰を集めたが、天正伊賀の乱で焼失[1]し、江戸時代の延宝年間(1673 - 1681年)に鉄牛禅師によって中興開基された[4]。奥之院には延宝2年(1674年)の藤原秀種による十一面観音像が現存する[4]。また、500本の桜や樹齢300年を超えるイチョウの木とともに毎年4月中旬には「さくら祭り」が開催される[5]。 面積11200平方メートルに及ぶ山頂の寺院跡地は[6]、昭和16年(1941年)9月26日に「霊山山頂遺跡」として三重県の史跡に指定されている[7]。 霊山経塚霊山経塚(れいざんきょうづか)は、霊山山頂(字堂山)に存在した3基の経塚。昭和27年(1952年)にテレビ放送中継所の建設工事で発見された[8]。四周を石で積み上げて石室とし、経壺を中心に鏡・刀・合子を置き、平石で天井とし、更にその上に重石が置かれていたという[8][9]。他の出土物に聖観音立像や4基の宝篋印塔があり、聖観音立像の台の宝塔には永仁3年(1295年)の銘文がある[8]。この聖観音立像の宝塔は平成21年(2009年)に宋人の伊行元の作であることが判明しており、伊賀市唯一の伊派による作品である[10]。制作の依頼者は「平泰清」なる人物(柘植又次郎とされる)で、アショカ王を称える内容(「八万四千之塔婆」)が刻まれている[10]。 脚注
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