陳耀祖
陳 耀祖(ちん ようそ、1892年〈光緒18年〉 - 1944年〈民国33年〉4月4日)は中華民国の政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。汪兆銘夫人・陳璧君の実弟である。 事跡1926年(民国15年)11月、広東省政務委員会委員となる。翌年3月、代理建設庁庁長に任ぜられた。11月、広州市工務局局長に異動している。1932年(民国21年)1月、国民政府の鉄道部常務次長代理となる。3月、同部財務司司長となって、1936年(民国25年)4月までつとめた。翌年6月、広東省政府委員となっている。 1939年(民国28年)9月、陳耀祖は、義兄・汪兆銘が組織した新たな中国国民党の広東省党部主任委員に任命された。翌年3月、正式に南京国民政府が成立すると、中央政治委員会指定委員(以後、4期まで務める)となる。4月、広東省政府主席代理(陳公博の代理)兼建設庁庁長兼保安司令に任ぜられた。11月、正式に広東省政府主席となり、その翌月には中央政治委員会副主任委員となった。この陳耀祖の人事には、陳璧君の後押しがあったとされる[1]。 1942年(民国31年)6月、陳耀祖は広州市市長も兼ね、広東省の全権を一手に掌握した。翌年1月、省政府主席から省長へと改組される。同年中にフランス専管租界接収委員、新国民運動促進委員会広東省主任委員も務めている。 1944年(民国33年)4月4日、陳耀祖は広州で暗殺された。享年53。 注
参考文献
|